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鉄道は、日常に欠かせない移動手段です。私たちは電車に乗っているとき、車窓を眺めたり、人と話したり、本を読んだり…と、思い思いに過ごしています。長距離を移動する旅の際には、車内で何をして過ごすかも楽しみのひとつといえるでしょう。鉄道が快適な移動空間であること。これは利用客の望みであり、鉄道会社が取り組む課題でもあります。

JR東日本研究開発センター 先端鉄道システム開発センター 快適空間グループ 研究員 田中倫子氏

JR東日本研究開発センター
先端鉄道システム開発センター
快適空間グループ
研究員 田中倫子氏

東北、上越、北陸などの新幹線から首都圏の在来線まで、JR東日本はすべての列車や駅において、サービスの質の向上を図ってきました。

「なかでも車両はお客さまが日々、直に接するものなので、その快適性を重視しています。特に乗り心地の向上は重要な課題です」

こう話すのは、JR東日本研究開発センターの快適空間グループに所属し「快適性」についての研究を行う、田中倫子氏です。

JR東日本研究開発センター 先端鉄道システム開発センター 快適空間グループ グループリーダー 白木直樹氏

JR東日本研究開発センター
先端鉄道システム開発センター
快適空間グループ
グループリーダー 白木直樹氏

従来、実際に車両に乗っている人が乗り心地をどう感じているかを調べるために、アンケートによる方法が主に使われてきました。快適空間グループでリーダーを務める白木直樹氏は、調査方法の課題について語ります。

「アンケートでは被験者の状況に左右される部分も大きい。人の感じ方を数値で表す努力をしていましたが、より客観的なデータが欲しいと思っていました」

被験者が試験の意図に沿おうとおもんばかったり、強く残った印象をもとに極端な答えになってしまったりと、アンケートではそのときの状況に左右されることがあります。さらには、乗車調査のように長い時間をかけての調査では、最初のほうの出来事を忘れたり、疲れて正確に答えられなくなるといったことも考えられました。

快適性という、人間の感覚に寄るところをいかに数値で表すか。快適かどうかの評価基準がないものにどう適応していくべきか。生体の計測、つまり人の体の反応をそのまま測ることができれば、より客観的な数値データを得ることができるのではないだろうか…。可能性を探っている中、快適空間グループは「光トポグラフィ」の技術と出会いました。

光トポグラフィは、脳の活動をリアルタイムに可視化する技術です。1995年に日立製作所が世界に先駆けて発表し、2001年、医療用途向けに製品化。現在は日立ハイテクノロジーズが市場調査用途などにも分野を広げてソリューションを展開しています。

ここで脳の活動と光トポグラフィのしくみについて説明しましょう。脳の神経細胞は、活動するとき酸素を必要とします。その酸素を運んでくるのが、ヘモグロビンというタンパク質です。つまり、脳内のヘモグロビン濃度が高い部位では、神経細胞の活動が活発になっていることを示します。

そこで光トポグラフィでは、「近赤外光」を使ってヘモグロビンの濃度変化を計測します。近赤外光は太陽光にも含まれ、生体組織に対する透過性が高い光です。太陽に手をかざすと赤く透けて見える、あの現象を思い出すとわかりやすいかもしれません。一方、ヘモグロビンは近赤外光を透過せずに吸収します。光トポグラフィはこの原理を利用し、脳のヘモグロビンの濃度変化を計測します。光トポグラフィのヘッドセットを頭に装着し、頭皮表面で発した近赤外光は、皮膚や骨などの生体組織内で散乱しながら脳に到達し、頭皮表面の約3 cm離れた位置に戻ります。脳内のヘモグロビン濃度の増減によって近赤外光の吸収量が変化するので、頭皮表面に戻る近赤外光の強度が変化します。この戻ってきた近赤外光の強度を計測することにより、大脳皮質の中でも思考、創造・意思・計画などを司る前頭前野から、その活動状態を可視化するのです。

脳のある部位が活動すると、酸素を送るためにヘモグロビン濃度が上昇。光トポグラフィでその変化を測ることで、脳の活動状態を可視化できる。

脳のある部位が活動すると、酸素を送るためにヘモグロビン濃度が上昇。光トポグラフィでその変化を測ることで、脳の活動状態を可視化できる。

「特に生体を使った計測については私たちの専門分野ではないので、日立ハイテクノロジーズのみなさんに教えてもらいながら、研究を進めていきました」と、白木氏は振り返ります。

日立ハイテクノロジーズは、脳科学の知見や経験を活かしたコンサルテーションを実施し、共により精度の高い結果をめざして、光トポグラフィを使った調査方法の検討が開始されました。

研究では、まず車内を模擬したシミュレータを使い、光トポグラフィが快適性の評価に有効に使えるか、またそれを踏まえて、実際の車両を使った試験ではどんな方法で実施するべきかが検討されました。

「シミュレータで光トポグラフィを試してみて、被験者の振動に対する気分を意味する『振動乗り心地』の傾向などがつかめるとわかり、良い感触を得られました」と、田中氏は話します。前頭部の左右の活動差を見ることでわかるストレスの度合が、明確に示されていたのです。

そして2015年、実際に走行している東北新幹線のなかで光トポグラフィを使い、被験者たちのストレスの度合を測りました。

「頭に装着するヘッドセットは125グラムと軽量なうえ、計測データは専用アプリの入ったスマートフォンにワイヤレスで送信されます。そのため、拘束されている負担を被験者に感じさせることなく試験を行えたのは重要なポイントでした」(田中氏)

試験の結果、駅間の車両の揺れの変化と、光トポグラフィで測ったストレスの値の変化がほぼ一致しました。揺れの軽減が脳で感じるストレスの緩和に重要であることが改めて確かめられました。

そして、アンケートでは得られない成果も上がりました。

「被験者のリアルタイムの感覚をつかめました。光トポグラフィを使ったからこその結果です」(白木氏)

試験中にはアンケートも実施し、そのときの気分を聞きました。しかし、光トポグラフィによる脳計測ではアンケートのタイミングだけにとどまらず、どの走行区間が乗り心地に大きく影響するかまで把握できたのです。たとえばストレス値の高かった区間にカーブがあれば、カーブでの揺れを抑えることが重要だろうといった推測ができ、乗り心地向上のための対策を具体的に考えることが可能となりました。

東北新幹線での現車試験のようす

東北新幹線での現車試験のようす

光トポグラフィは大がかりな装置ではないため、ほぼあらゆる場面で脳の活動を測れます。こうした特徴は、仕事、生活、医療など、社会の広い分野でこの技術が活かされる可能性があることを意味します。

日立ハイテクノロジーズ イノベーション推進本部 ブレインサイエンスビジネスユニット長 長谷川 清氏

日立ハイテクノロジーズ イノベーション推進本部
ブレインサイエンスビジネスユニット長
長谷川 清氏

「人の社会活動の根源には、人を知ることがあります。光トポグラフィはそのために使える技術だと考えています。私たちのめざしていることは、人々の生活の質向上に貢献することなのです」

技術開発をリードしてきた日立ハイテクノロジーズの長谷川清氏はそう話します。たとえば、働く人たちが健康であることを企業活動に活かそうとする「健康経営」の取り組みでも、光トポグラフィの活用が期待されています。「アンケートでは働きつづけたいと答えても、実は体調が悪いという人はいます。休養が必要か、また職場全体での抑うつ状況はどうかなどを、働いている人たちの“脳に聞く”ことで正確に把握することが可能となります」。

長谷川氏は、技術の安全性についても「近赤外光の波長は人体との親和性が高いため、赤ちゃんの脳の活動を光トポグラフィで測ることにも使われています」と強調します。どんな人に対しても脳の活動を測れるという安全性は、気軽に使用できるという携行性とともに、光トポグラフィの汎用性の高さの表れといえます。

今回お話を聞いたJR東日本のみなさんも、光トポグラフィの汎用性を、より多面的に業務に活かすことができると感じています。

「例えば、鉄道車内空間の快適性を光トポグラフィによって評価し、お客さまに快適にお使いいただける客室やトイレ、洗面所などの車内設備の設計に反映することも可能性としてあるでしょう。また、装置がさらに小型化すれば、運行中に振動乗り心地をリアルタイムで取得し、レールや車両の変化を日々モニターすることに活用できるかもしれません」と白木氏は例をあげます。
「お客さまのために、新たな技術や手法を取り入れていくのは私たちの責務と思っています」

いつ、どこでも、だれに対しても、そのときの気持ちを測れることが、人の本当に求めていることの理解につながります。社会の各シーンで光トポグラフィを使って「人を知る」ことが、私たちの日々の暮らしをより良いものにしていきます。

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※本文中の情報は、2017年3月当時のものです