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株式会社 日立ハイテクノロジーズ

企業スポーツの「いま、ここ」 特集 社会を豊かにするハイテクソリューション06 企業の“広告塔”からインターナルブランディングの“体現者”へ

日本のアマチュアスポーツを支えてきた企業スポーツ。これまで我が国の各種競技のレベルを維持、発展させることに大きく寄与してきた。だが、バブル経済崩壊を機に、経営改革を迫られた企業は、次々とチームの休廃部を決断する。さらに追い打ちをかけたのが2008年のリーマンショックだ。だが一方で、チームの活動を継続し、自社の競争力強化に生かす企業もある。注目すべきは「チームは経営戦略上の重要なツールのひとつ、社内の連帯感や帰属意識の醸成という側面で、企業スポーツは非常に有効」と言い切る日立ハイテクノロジーズ。自社の女子バスケットボールチームに、一体どんな価値を見いだし、また期待を込めているのだろうか。

企業スポーツとは

企業スポーツは企業の成長エンジンとなるだろうか

企業スポーツは企業の成長エンジンとなるだろうか

世界と肩を並べた日本のアマチュアスポーツ

1960年代後半には、3,000人以上の従業員を抱える企業の約半数が企業スポーツチームを保有していた
1960年代後半には、3,000人以上の従業員を抱える企業の約半数が企業スポーツチームを保有していた

 そもそも企業スポーツとは、明治中期頃、従業員の福利厚生を主眼として奨励された「職場スポーツ」。健康促進や風通しの良い職場を築くための、企業内部の取り組みだった。大正になると第一次世界大戦などの軍事特需による好況を背景に、急成長を遂げた企業はスポーツチームを自社保有するだけでなく、その成果を競い合うようになる。つまり、それぞれのチームの選手が、企業を代表して競技の優劣を競う企業スポーツへと発展した。

 やがて実業団による競技連盟が発足し、定期戦が始まると各企業は、企業スポーツには従業員の帰属意識を高め、士気を高揚させる機能があることを見いだす。さらに優勝争いを繰り広げるほどの実力や、それに伴う人気がチームに備われば、そこに社内求心力が生まれ、また自社の広告宣伝効果が高まることを実感する。

 企業スポーツがその地位を確固たるものにしたのは、なんといっても1964年の東京五輪で金メダルを獲得したバレーボール女子日本代表の活躍だろう。というのも当時の日本代表チームを構成していたのは、事実上、実業団ナンバーワンチームだった「日紡貝塚」(後のユニチカ・フェニックス/2000年に活動停止)そのものだったからだ。「東洋の魔女」というニックネームも、もともとは1961年の欧州遠征で22連勝を記録した日紡貝塚に現地のマスコミから贈られた異名だそうだ。

 「金メダルを獲得した瞬間、企業スポーツは“五輪スポーツ”となりました。企業では“実業団でナンバーワンになれば、自社の選手は日本代表に選出されるし、世界一にもなれる”という認識が広がりました」。東京五輪以降、企業がそれまで以上に自社保有チームの強化に躍起になった理由をこう語ってくれたのは、日立ハイテクノロジーズ(以下、日立ハイテク)の人事総務本部部長代理の井上謙氏。日立ハイテクの女子バスケットボールチーム「クーガーズ」の副部長も務めている。

株式会社日立ハイテクノロジーズ 人事総務本部 東京総務部 ビジネスサポートグループ 部長代理 (日立ハイテククーガーズ副部長)井上 謙氏
株式会社日立ハイテクノロジーズ
人事総務本部 東京総務部 ビジネスサポートグループ
部長代理
(日立ハイテククーガーズ副部長)
井上 謙氏

 自身も、実業団バレーボールチーム「NKKナイツ」(プロフィール参照)のメンバーとして活躍し、1988年にはバレーボール男子日本代表としてソウル五輪に出場した経験を持つ。

プロフィール:

1980年代、熊田康則、川合俊一と共に日本男子バレーボール界をリードしたサウスポーアタッカー。全日本代表として出場した85年のワールドカップバレーボール、88年のソウル五輪では大車輪の活躍を見せる。85年順天堂大学を卒業後、日本鋼管株式会社(現JFEエンジニアリング株式会社)に入社。NKKナイツ(1994年活動休止)のメンバーとなる。96年日立国分トルメンタへコーチ兼任で移籍。98年現役引退後、2008年に株式会社日立ハイテクノロジーズ入社、現在に至る。

「職場スポーツ」から「五輪スポーツ」へ

 「当時、世界市場へ進出、シェア拡大を目標にしていた日本企業は、自分たちの同僚でもあるチームの選手が世界に通用した事実を、自分たちのビジネスに重ね合わせ、大いに活気づいたと聞いています。東京五輪の翌年には、アマチュアチームを対象としたリーグとしては日本初となる、JSL(日本サッカーリーグ)が発足※1するなど、各競技のレベル向上を目的にトップグループを核とした日本リーグがスタート。高度経済成長のおかげで、チーム強化のための選手補強に潤沢な資金を投入できたことが大きかったですね」(井上氏)。

 テレビの普及により、広告宣伝媒体としての機能が拡大したことも手伝い、アマチュアスポーツにおいて企業スポーツの地位は揺るぎないものとなる。事実、1960年代後半には、3,000人以上の従業員を抱える企業の約半数が企業スポーツチームを保有する状況に至った。

 ところが1974年、スポーツのプロ化、商業化を世界中で加速させる出来事が起きる。

IOC(国際オリンピック連盟)が五輪憲章の参加資格から「アマチュア規定」を削除したのである。また、テレビ放映料やスポンサー協賛金などで開催費用を賄い、1セントも税金を使わずに五輪開催を成功に導いた1984年のロサンゼルス大会を契機に、スポーツが巨大なビジネスとして扱われるようになる。さらに1990年代のバブル崩壊が、企業スポーツに暗い影を落とす。

井上氏自身、選手時代に一度、コーチ時代に一度、企業スポーツチームの休廃部を経験している(写真はNKKナイツ時代の勇姿)
井上氏自身、選手時代に一度、コーチ時代に一度、企業スポーツチームの休廃部を経験している(写真はNKKナイツ時代の勇姿)

 「企業にスポーツチーム、あるいはアスリートを保有・維持する意義と意味が問われ始めたのはバブル崩壊後のことでした。これに拍車をかけたのはスポーツの商業化、マネーの流入によるアスリートのプロ化意識の高まりでした」(井上氏)。

 良好な労使関係をベースに従業員利益の最大化を目指した日本的経営から、市場主義や株主重視といった欧米的経営への転換を余儀なくされた企業は、社会への説明責任を果たすため、企業スポーツチームや選手を自社保有する価値を証明する必要に迫られた。

※1
1992年3月29日の最終節を持ってJSLは廃止。Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)と下部組織のJFL(ジャパンフットボールリーグ)へと発展解消される

経営視点から見たシンボルスポーツ

創部から半世紀以上が経った今も、“シンボルスポーツ”として従業員や地域の人々と共に歩み続ける日立ハイテク女子バスケットボール部「クーガーズ」

創部から半世紀以上が経った今も、“シンボルスポーツ”として従業員や地域の人々と共に歩み続ける日立ハイテク女子バスケットボール部「クーガーズ」

経営的視点から見た“シンボルスポーツ”の価値

11月の開幕戦勝利にむけて、日々厳しい練習に励むクーガーズのメンバーと高木ヘッドコーチ(左)
11月の開幕戦勝利にむけて、日々厳しい練習に励むクーガーズのメンバーと高木ヘッドコーチ(左)

 当初、企業がチームを保有する目的は、従業員の福利厚生であり、「帰属意識を高める」「士気を高揚する」「社内求心力を生む」「広告宣伝効果を高める」ことにあった。しかしながら、こうした成果を定量的に評価することは難しい。とりわけ欧米型の経営スタイルを導入するようになってからは、費用対効果が可視化できないものに貴重な経営資源を投入するほど企業経営は甘くなくなった。

 結果、1999年をピークに前後約20年間で、休廃部に陥った実業団チームの数が300を超えるなど、企業スポーツはバブル崩壊以降、衰退の一途を辿ってきた。撤退した理由の大半は業績不振によるリストラだが、景気が回復し、業績が改善したらチームの活動を再開するのかと思いきや、ほとんどの企業にその意志はないようだ。残念ながらチームの保有に、コスト以上の価値を見いだせなくなってしまったのだろう。

 一方で、創部から半世紀以上が経った今も、企業およびグループのシンボルスポーツとして従業員と共に歩み続ける企業スポーツチームがある。1961年、日立ハイテク(旧日立製作所・計測器グループ)の那珂工場が設立された際に誕生した、女子バスケットボール部「日立ハイテククーガーズ」だ。現在はWリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)参加チームとして、11月8日に行われるJX-ENEOSサンフラワーズとの2013-2014レギュラーシーズン開幕戦(東京・代々木第二体育館)に向け、選手全員が毎日厳しい練習に励んでいる。

 いわゆる間接部門である企業スポーツチームがここまで存続してきた背景には、企業がチームに対して合理的な価値を見いだしていることがある。日立ハイテククーガーズはその価値にふさわしい運営の仕組みが構築されていたと考えられる。企業スポーツの存続と撤退、休廃部となったチームとクーガーズとで違いはどこにあるのか。日立ハイテクの執行役専務、経営戦略本部長にして、日立ハイテククーガーズのオーナーである松坂尚氏に話を伺ってみた。

インターナルブランディングの旗振り役に指名する

 「クーガーズの存続には、我々日立ハイテクグループの成り立ちが深く関わっています」。こう前置きした上で松坂氏が強調したのは、日立ハイテクグループが“異なる企業文化を持つ組織の集合体”という統合の歴史だった。

 日立ハイテクは2001年、日立製作所の計測器グループ(那珂地区)と半導体製造装置グループ(笠戸地区)、およびハイテク関連の専門商社である日製産業が事業統合して誕生した。3年後には日立電子エンジニアリングをグループ会社化するなど、その後もグループ会社の再編や他社との事業統合を重ね、約10年間で連結1万人の企業グループに成長する。

 「気がつくと価値観も哲学も仕事の進め方も異なる、さまざまな企業文化を持つ組織が集まった企業グループが出来上がっていました。そんな我々がグループの総合力とシナジーを発揮し、“ハイテク・ソリューション事業におけるグローバルトップを目指す”という企業ビジョンを早期に実現するためには、どうしてもグループ全体の求心力が必要となります」(松坂氏)。

株式会社日立ハイテクノロジーズ 執行役専務 CTO 経営戦略本部 本部長 (日立ハイテククーガーズオーナー) 松坂 尚氏
株式会社日立ハイテクノロジーズ
執行役専務 CTO
経営戦略本部 本部長
(日立ハイテククーガーズオーナー)
松坂 尚氏

 そこで日立ハイテクグループは2011年10月、求心力の源となる基本理念や価値観、戦略を「Hitachi High-Tech WAY(以下、WAY)」(図Ⅰ)としてひとつにまとめた。その中では、次の10年の進むべき道筋を示した長期経営戦略「Corporate Strategy 2011(CS11)」(図Ⅱ)をトップポリシーとして策定。また、グループ内の各組織で繰り返し行われたディスカッションを通じて、グループ全体で共有すべき価値観を「Hitachi High-Tech SPIRIT(以下、SPIRIT)」として4つのキーワード(「チャレンジ」「オープン」「スピード」「チームワーク」)に落とし込むなど、事業創造企業としてグループ一体での事業運営に取り組みはじめた。

 「ここでクーガーズの話に戻すと、このチームは常に我々の身近にあってSPIRITを具現化している格好の例といえます。現在はWリーグにいますが残念ながら成績は下位のほう。その彼女たちが常に高みを目指してチャレンジする姿をグループ全体で共有し、応援するとともに、そのチャレンジを自分たちの業務に投影して、モチベーションをあげてもらいたいと考えているわけです」(松坂氏)。

図Ⅰ Hitachi High-Tech WAY(基本理念・価値観・戦略の関係図)
図Ⅰ Hitachi High-Tech WAY(基本理念・価値観・戦略の関係図)

図Ⅱ 長期経営戦略「CS11」の概要
図Ⅱ 長期経営戦略「CS11」の概要

組織にとっての企業スポーツの価値

「クーガーズファン感謝デー」はファンサービスの場である一方、選手たちがファンから元気をもらう絶好の機会でもある(ひたちなか市クーガーズアリーナ)

「クーガーズファン感謝デー」はファンサービスの場である一方、
選手たちがファンから元気をもらう絶好の機会でもある
(ひたちなか市クーガーズアリーナ)

統合型企業ゆえのメリットを享受「統合」の10年から「融合」の10年へ

静岡県小山高校で実施したクーガーズ「バスケットボールクリニック」の模様
静岡県小山高校で実施したクーガーズ「バスケットボールクリニック」の模様

定期的にひたちなか市や茨城県の小学校、中学校、ミニバスケットボール少年団などを対象とした「バスケットボールクリニック」を行うなど地域貢献にも力を注ぐ
定期的にひたちなか市や茨城県の小学校、中学校、ミニバスケットボール少年団などを対象とした「バスケットボールクリニック」を行うなど地域貢献にも力を注ぐ

 「我々が単一の組織なら、極端な話WAYを共有しようということもなかったし、クーガーズは廃部になっていたかも知れません。私は経営戦略についても管掌していますので、その意味でいえばクーガーズは経営戦略上の重要なツールのひとつだと考えています」(松坂氏)。

 松坂氏が言いたいことは、こういうことだ。世間では企業スポーツがすっかりシンボルスポーツとしての価値や魅力を失ってしまった感もあるが、日立ハイテクグループはここ10年で出来上がった統合型の企業グループ。それ故、逆にシンボルスポーツが持つ「帰属意識を高め、社内求心力を生む」といったメリットを生かすことができるというわけだ。

 「これまでの“統合”の10年から、これからの“融合”の10年へ移行するなかで、各組織が自分たちの特長を生かしながら日立ハイテクグループとしてひとつにまとまっていこうとすると、日常の業務だけでなく、シンボリックに見る、あるいはより所にするツールみたいなものが必要になってくるのではないでしょうか。我々にとって、それがクーガーズなのです」(松坂氏)。

 前述の通り、日立ハイテクグループではWAYが成長の道筋を示し、役員・従業員はこれに従い、ハイテク・ソリューション事業におけるグローバルトップをめざして日々の業務に邁進している。しかし、実際のビジネスで具現化しようとすると大変な時間がかかる。だが、もしクーガーズがWAYを体現しようとチャレンジすれば、近い将来Wリーグ優勝という価値創造を実現できるかも知れない。その成功体験は、役員・従業員にグループの一員としての誇りと自覚を生むだろうし、大きな刺激となり、仕事に対するモチベーションも上がるだろう。こうしたポテンシャルがクーガーズにはあり、「これを経営に活用しない手はない」というのが松坂氏だ。

 こうした企業スポーツを経営戦略に生かしていこうという取り組みは、何も日立ハイテクグループに限ったことではないようだ。M&Aや統廃合によって成長してきた企業など、その企業グループがハイブリッドであればあるほど、企業アイデンティティの醸成は喫緊の課題なのかも知れない。

つながりや、まとまりを生む企業スポーツに不変の価値を見いだす

 従業員の意識を高め、経営目標に向けて組織を束ねていくことは、企業経営においてもっとも重要な課題のひとつである。とりわけモノづくりを生業(なりわい)とする企業は、製造工程の機械化が浸透するまでは、多くの労働力を集約しなければならなかった。無論、各工程間の連携や相互の補完が不可欠であり、いかにして社内の部署ごとに、従業員同士のつながりや、まとまりを生み出すかが生産性向上のカギとなった。

 だからこそ企業スポーツは、当時、社内の組織横断的な意思疎通を図るツールとして機能した。企業スポーツとして盛んになった競技の多くは、メンバー間の結束が欠かせないチームスポーツであることも無関係ではない。

 まず、部署、職責、年齢、性別を超えた、選手、スタッフ同士の相互理解、意思疎通が進んだのち、こんどは選手、スタッフを通じて各部署間の連携が進んでいったと考えられる。さらに会社を代表して戦う選手たちの試合を、全社をあげて応援することで選手以外の社員間の交流も促進され、社員の一体感と求心力が生まれたのである。日立ハイテククーガーズの事例からもわかるように、企業スポーツが持つ社内的価値は、今なお薄れてはいないようだ。

 最近では、一部の企業に日本的経営への揺り戻し現象が起きている。また、社業を行わないプロ契約選手から通常通り社業を行う社員選手に切り替えようという動きも見られる。日本企業の強みとして欧米から評価されてきた従業員同士の結びつきや、企業の内部統制を強化する企業スポーツの不変の価値を、見直し始めたからだろう。

全国を飛び回る「応援リーダ」、全国の会場に駆けつけてくれる従業員の応援がクーガーズを勝利へ導く
全国を飛び回る「応援リーダ」、全国の会場に駆けつけてくれる従業員の応援がクーガーズを勝利へ導く

株式会社日立ハイテクノロジーズ

東京都港区西新橋1-24-14 〒105-8717
TEL:03-3504-7111 FAX:03-3504-7123

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ここに掲載しているコンテンツは、日本経済新聞 電子版広告特集「社会を豊かにするハイテクソリューション」として、2012年6月~2015年3月まで掲載されたものの転載です。