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技術機関誌 SI NEWS日立ハイテクノロジーズ

命と向き合う透過電顕解析への挑戦

~One for All の精神で、基礎研究と臨床応用の最先端をつなぐ~

『SI NEWS Vol.58-1』において、「簡単便利で高精細!進化を遂げたバイオメディカル透過電顕解析」と題し、細胞内部の微細構造に迫る透過電子顕微鏡の威力と解析手法の進化について解説して下さった澤口朗先生。
今回は、iPS細胞の先進的研究プロジェクトの一端を担う澤口先生のリアルな横顔に迫るため、宮崎大学清武キャンパスにある研究室にお伺いしました。

宮崎大学医学部 解剖学講座 超微形態科学分野 教授
同フロンティア科学実験総合センター バイオイメージングラボ 主任
澤口 朗(医学博士)

澤口 朗(医学博士)

「ブラック・ジャック」のメスを電子顕微鏡に代えて

少年時代の澤口朗氏には、すでに人体の仕組みに対する興味が渦巻いていた。「なんで熱が出るの?」「なんで咳が出るの?」看護師だった母の答えに飽き足らず、百科事典で手に取るのは、「昆虫」でも「乗り物」でもなく、いつも「医学」の巻だった。小学1年生のときには、手塚治虫の「ブラック・ジャック」が愛読書となり、外科医への夢に思いを馳せた。ラグビーに熱中した高校時代を経て、1990年宮崎医科大学(2003年宮崎大学と統合。現宮崎大学医学部)に合格。「これで本当に人の体を勉強できる」と喜びに沸いた澤口氏。だが、「研究の成果を医療行為として社会に還元する医師」という自らの理想と臨床の現場のギャップを痛感することになる。
澤口氏の教授室のデスクに常に置かれている一通の手紙。医学部を卒業後、研修先の順天堂大学で初めてガンを告知した男性患者からの手紙だ。そこには、臨床ではなく、研究の道を選択したひとつのきっかけがあった。ガン告知を希望していたその男性は、精密検査の結果、肝臓ガンであると告げられた途端、老舗呉服屋の主らしい凛とした佇まいを崩し、点滴台を持っていた手はガタガタと震え始めた。
「『余命はあと半年です』と申し上げたのですが、そのときの眼光から、『先生、今、6カ月と言われましたよね。じゃあ、その6カ月を、7カ月、8カ月にする努力をしているのですか』という、そんな言葉も私の中に伝わってきて。確かにその努力を私はしていない。にもかかわらず、人の命を宣告する権利など、56歳の方を相手に25、6歳の私が言う権利がどこにあるんだろう、と思ったんですね。そう思ったときに、『今やるべきことは、やはり研究だ』と決意しました。」
まだ治療法が確立していない病気が、数多く存在する現実を看過して、人の余命を宣告する権利があるのか?専門医として、新たな治療法の開発ができるのか?クリティカルな疑問から、澤口氏は順天堂大学での研修を1年で切り上げ、学部生時代から親交のあった、宮崎医科大学大学院の菅沼龍夫氏(現宮崎大学学長)が主宰していた解剖学第二講座の門を叩く。医学の基礎は、生命機能を司る形態と構造を学ぶ解剖学であるという、当初からの考えを裏切らない決断だった。
「そこで電子顕微鏡を選んだのも、データの有意差がどうだとか、何%上がったというよりも、目で見て、形で証明できることに説得力を感じた」と語る澤口氏は、メスを電子顕微鏡に代えて、胃粘膜の微細構造を解き明かす「超微形態科学」の研究を進めていくことになる。

澤口 朗(医学博士)

生き生きとした細胞の形態に魅せられる

大学院に進学した澤口氏は、形態観察と組織化学に新たな流れを生む観察試料作製法、「高圧凍結技法」と出会い、その観察像に魅せられる。
「高圧凍結というのは、これまでの技法とはまったく形が違うんですね。これを一回見て以来、その美しさに魅せられました。従来の化学固定法では、化学固定剤でタンパク質を架橋するので、(生体試料のミトコンドリアが)どうしても歪んでしまうというか、しぼんでしまうのですが、高圧凍結技法で処理したものはふっくらとしていて、『これぞ生きているものの形だ!』というものを観察することができるのです。一度そのミトコンドリアを見てしまうと、もう二度と化学固定法という従来の方法では見られなくなってしまう。だから、これを研究のテーマにしようと。確立していないのなら確立させよう、というところに来たわけです。」

高圧凍結技法による観察像

初代培養ウサギ胃底腺壁細胞のミトコンドリア

生体試料を通常の大気圧で急速凍結すると、氷の結晶が形成され、細胞内がズタズタになってしまう。物理学の原理に基づき、2,100 barの高圧下で、試料を瞬時に凍結すると、氷晶形成が抑えられ、細胞形態の損傷がない美しいサンプルができる。スイスの研究室で理論化・設計された高圧凍結装置を初めて市販化したBALTECHPM010の国内第二号機は、1994年に研究室に導入されていたが、なかなか成果が出ない高価な機械にとどまっていた。「澤口君、新しい機械もあるから、これでひと仕事、確立してくれないか」と菅沼氏に持ちかけられた駆け出しの研究者は、ヘルメットをかぶった同僚たちが、不穏なノイズを立てて液体窒素を吹き出す装置から後退する中、果敢に操作を続けた。試料であるラット胃粘膜を埋め込む直径3 mm、厚さ300 µmの試料キャリアのデザインから考え直すなど試行錯誤と創意工夫を重ね、高圧凍結技法の確立に向けて邁進する。

「命との向き合い方」を体現する研究者との出会い

「高圧凍結技法—微細形態と生体物質の保持に優れる新たな凍結技法—の組織化学研究への応用」を主題に大学院修了を控えていた澤口氏は、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)分子細胞生物学部の故ジョン・G・フォルテ教授が、高圧凍結技法を胃酸分泌のメカニズムの解明に導入したという論文を読む。「私は高圧凍結を使って胃の粘膜を研究している者ですが、ぜひあなたのところで勉強させてもらいたい」という「ラブレター」に、フォルテ教授は「すぐに来てくれ」とEメールで即答。慌てて半年の猶予をもらい、博士号取得後、2001年9.11直後の厳戒なセキュリティを通過し、アメリカに渡る。
澤口氏にとってフォルテ教授は、胃酸分泌研究の第一人者であると同時に、臨床現場における専門医の役割とは異なる「命との向き合い方」を体現する人物でもある。「この方は医者ではないのですが、プロトンポンプ(胃酸分泌タンパク)を発見して、それでプロトンポンプ阻害薬ができて、胃潰瘍を手術しないで治せるようになったんですね。ここに医学研究の根っこがありますね。お医者さんじゃない人が、何千万人どころではない数の患者さんの命を救っているんです」
当時、フォルテ教授の研究室には、培養された胃酸分泌細胞が酸を分泌する様子を電子顕微鏡レベルで観察する方法がなかった。高圧凍結技法の応用を考えた澤口氏は、アルミ製の試料キャリア上で細胞を培養するという画期的なアイディアを実現する。試料キャリアごと高圧凍結・凍結置換、樹脂包理し、細胞の切片を作製すると、見事なまでに電子顕微鏡で胃酸が分泌される瞬間を捉えることができた。生き生きとした状態の培養細胞の観察ができるこの革新的方法は数多くの論文に引用され、ノーベル賞受賞者を多数輩出しながらも電子顕微鏡学者がいないUCバークレー内から電顕解析の「注文」が次々に舞い込んだ。高圧凍結技法のさらなる発展を達成した実感を得た澤口氏は帰国を決める。

酸分泌刺激による形態変化

酸分泌刺激による形態変化

一枚の電子顕微鏡写真が、iPS細胞研究の成果を左右する

電子顕微鏡学者の不足。それは国内にも当てはまる「危機的な課題」と澤口氏は認識している。数十億、数百億単位で予算を組むことができる研究機関であっても、ユーザーがいなければ、電子顕微鏡は設置されない。宮崎大学を高圧凍結技法の世界的パイオニアに導き、日立透過電子顕微鏡HT7700を駆使して、高精細な観察像を取得する澤口氏には、東京大学医科学研究所や京都大学iPS細胞研究所も試料観察・解析を依頼する。
2014年、iPS細胞研究所がヒトiPS細胞から血小板を安定的に大量に供給する方法を開発した研究論文をトップジャーナルに発表した際、血小板産出の決定的証拠となる電子顕微鏡写真を撮ったのも澤口氏だった。
「ワン・フォー・オールのラガーマンの精神で、自分の研究だけではなく、社会貢献する部分も含めて並行してやっていったところ、iPS細胞が国のプロジェクトになってきて、今の優先順位は自分よりもそちらのほうが優先という形になってきました」
iPS細胞由来の血小板が安全に量産化されれば、血小板製剤の安定した供給ソースとなる。長期的な不足が懸念される献血に依存しない血液製剤実用化の確かな見込みは、血小板減少症などの指定難病を抱える人々に希望をもたらす。「14歳の女の子がブログに書いてるんです。『私は恋ができない。子供も生めない。でもiPSで血小板ができるみたい。わーい!』と。涙が出ますね。待ってくれてるんだと。やらなきゃと」
iPS細胞研究が加速するには、装置の高性能化だけをあてにできない。試料作製法や周辺技術の進化も求められる。実際、日立ハイテクの協力で実現した「リアルタイム電顕画像配信システム」のおかげで、iPS細胞由来の血小板の臨床応用は2年後という現実的な見通しが立った。テレビ会議システムを併用し、共同研究機関との電顕画像のリアルタイムで正確な情報共有と議論を可能にするグリッド状のインターフェイスは、将棋のTV中継で「先手、5二金」と駒の位置を示す将棋盤の升目にインスパイアされたという。

ヒトiPS 細胞から誘導された巨核球からの血小板遊離像

酸分泌刺激による形態変化

富士山の裾野をめざして

澤口氏によれば、直近の2年間で「nature」を筆頭に、トップジャーナルの掲載論文に電子顕微鏡写真が含まれる比率が上昇している。研究の最前線で電顕解析のニーズが高まる一方、減少する電子顕微鏡学者。トップランナーの孤高よりも、スクラムを組んで共に前進することを選んできた澤口氏は、人材育成と電子顕微鏡の多角的なユーザー拡大にも熱く取り組む。ある程度の経験を要する試料作製を、宮崎大学フロンティア科学実験総合センターバイオイメージングラボに気軽に依頼できる「電顕リサーチ支援システムEM-PAS」もその一環だ。
「技術の高度化も大事なのですが、私がよく例えるのはF1とカローラなんです。F1も大事なんですけど、ドライバーがいなければ始まらない。電子顕微鏡も解像度だの高電圧だのといっても、それはそれでいいのですが、やはりシンプルな電子顕微鏡解析をするユーザーがいて、F1の技術も上がる。それが今度は一般車に応用されていく。こういうサイクルが必要だと思うんですね。上に上げよう、頂点を高くしようという人は、本人の名誉になるから、いっぱいいるのですが、広げようというのは、なかなかインパクトファクターが高い論文に繋がらない。でも、富士山が高く美しくあるのは、広い裾野があるからなんですね。私はその裾野のほうを担当しようという形ですね。」
電子顕微鏡主体の解剖学研究の道を選んだ際、当時隆盛を誇った分子生物学分野の先人たちからは非難もあった。電子顕微鏡が好き。その思いに賭けた澤口氏は、教育者として次世代の夢を育て、新たな治療法の開発につながる基礎研究に取り組みながら願う。「私はまだ発展途上でありたい」と。

編集後記

iPS 細胞を含む切片に光学顕微鏡で狙いをつけ、狙い通りに透過電顕で捉える試料作製法。澤口先生らが開発し、『SI NEWS Vol.58-1』でも紹介される手法の鍵、「樹脂包理補助ツール」の正体は、100円ショップでふと目にしたウオノメパッドだった!取材日も大量に購入したパッドを手に登場した先生は、「アマノジャクではないですけど、人がやらないことをやりたい」と語るように、独自の視点やアプローチで電子顕微鏡研究の可能性を開拓してきた。研究の道を選んだときの初心を貫き、One for Allの熱いスピリットにあふれる。「今の私の一挙手一投足が、将来の医学の研究者に繋がるのであれば、そこを意識しながらやっていこうと」。取材の合間に学生たちと談笑する澤口先生からは、挑戦し続ける充実感とエネルギーが伝わってきた。

(石橋今日美)