ページの本文へ

Hitachi

技術機関誌 SI NEWS日立ハイテクノロジーズ

持続可能な社会のために、素材から広がる可能性を究める

~ナノ構造の界面に迫る熱測定と構造解析~

『SI NEWS Vol.58-1』において、「AFMとDSCで見る高分子相分離界面」と題し、原子間力顕微鏡によるミクロな観察と熱分析によるマクロな特性評価を組み合わせ、高分子ブレンドの相分離界面のキャラクタリゼーションを行った例を紹介して下さった吉田博久先生。
新たな素材の創出につながるダイナミックな研究を手がける吉田先生の素顔に接近するため、首都大学東京南大沢キャンパスにある研究室を訪ねました。

首都大学東京 大学院 都市環境科学研究科 教授
吉田 博久

吉田 博久

研究の楽しさを知り、分子の世界へ

人がある決断を下すとき、状況に応じた偶然の要素が、後に大きな結果をもたらすことがある。吉田博久氏が、高分子をテーマとする研究者となったのも、いわば“時代の空気”と無関係ではなかった。
「大学院1年生のときに第一次オイルショックがあって、大学院に進学した学生は、みんな就職先がなくなるというような、そういう時代だったんです。私自身は、もう就職するつもりで、大学院なんて、というふうに思っていたんですけど、たまたま配属された研究室で、成績の悪いのから順番に外に出されたんですね」
そのうちの一人として、学部4年生のときに、横浜にあった工業技術院繊維高分子材料研究所(現在の産業技術総合研究所の前身)で一年間過ごすことになった吉田氏。大正7年に絹業試験所として設立され、当時、高分子材料を研究する唯一の国立機関だった研究所での出会いが、進路を変えることになる。

吉田 博久

「もしそこに行かなければごく普通に就職して、会社員になっていたと思います。そのときに非常に影響を受けた三人の方がいらっしゃって、皆さんまさにそのあと日本の化学を背負って立つような方たちだったんですね。その人たちが非常に熱心に研究のことや学問のことを、学生に教えるというのではなくて、自分たちと一緒にやろうと」
「高分子と低分子では何が違うのか?」先達の研究者が投げかける、既成概念の隙をつくような問いも、研究心を刺激した。
「分子が小さいときというのは、末端にどんな官能基がついているかによって、分子の性質が変わるわけです。ところが高分子になってしまうと、そういう末端の性質というのは消えてなくなる。そうすると、分子自身が自分の一番端っこを認識できるかどうかが、高分子の定義というのはどうですか、という話をしたことがあって、それはおもしろいんじゃないかと。バリバリの研究者が、学生の言ったことを戯言として聞くんじゃなくて、おもしろいねというふうに取り上げてくれる。これが大きかったと思うんですね」

吉田 博久

高分子の構造を制御し、社会のニーズに応える

高分子というのは一体どんなものなのか。その分子自体がある環境に置かれたときに、分子がその環境をどうやって識別するのか。それは、吉田氏の研究の出発点にあったテーマであり、高分子機能材料の研究・開発に発展してゆく。
高分子は一度できてしまうと、あとから化学構造を制御することは難しい。ゆえに高分子の特定の機能を引き出すためには、高分子の構造自体をコントロールすること、つまり分子の配列を操作し、意図した構造を実現することがポイントとなる。

吉田 博久

「私たちは『分子の積み木』という言い方をしていますけども、たとえば非常に性能のいいセンサーを作ろうとしたときに、まず構造はどういうふうにしたらいいかと考えるわけです。そうすると高分子のフィルムの外側に、モノを認識する場所、官能基を高密度に作る。そのために高分子をどう設計していくかというところから始まるんですね。モノマーで構造を制御して、その構造をそのまま高分子化して固定化するという考え方ですね」
分子の持つ特性が最大限に発揮されるような配列に設計され、構造がコントロールされた分子集合体は、エネルギー、医療、環境など、さまざまな分野への応用が期待される。循環型社会の構築に向けて、素材や製品に対するニーズの多様化が進行する中、吉田氏は素材メーカーや化粧品会社など、多いときで年間5、6社と共同研究を行い、それぞれの立場からいかに物事を考えていくかを議論している。
例えば「低燃費タイヤ」と呼ばれる自動車のタイヤにとって、燃費性能の向上は、確実な走行と停止のためのグリップ力という本来必要な基本性能と相反する要求である。高度なニーズを満たすためには、タイヤ素材におけるナノメートルサイズの構造の制御が必要となる。低燃費性能を向上させる効果を持つ親水性のシリカを、油に近い特性を持つゴムの中にいかにうまく含ませ、均一に分散させるか。その研究を吉田氏はタイヤメーカーと10年以上継続している。そこで欠かせないのが、異なる高分子間の界面の解析だ。
「そのときにやはり感じるのは、カーボンブラックやシリカナノ粒子の表面とゴムとの相互作用、馴染みよさというのはどういうふうになっているか、そこをちゃんと解析しなければいけないということです。それで私は熱分析をずっとやっていますから、日立ハイテクのDSCを使うと。特に日立ハイテクのDSC7000Xは、今までのDSCの感度からいくと3桁よくなったんですね。それまで熱測定というのは数ミリグラム使う。ところがDSC7000Xが出てきたので、いきなりマイクログラムで測定できるようになったんです」

吉田 博久

熱測定で表面・界面解析の一歩先へ

2009年から2011年まで日本熱測定学会の会長を務めた吉田氏によると、従来の熱分析は材料全体の「平均値」としての変化を研究するために適した方法であり、全体の数パーセントもないような界面や表面の評価には不向きだった。しかし、マイクログラム単位の試料を高感度で測定できる熱分析装置のおかげで、これまで把握できなかった界面へのアプローチが可能になった。
「高分子ブレンドで2つのものを混ぜたときに、その混ざった界面、AとBというポリマーがあったときの境目というのが、緩やかな濃度勾配になっているのか、それとシャープな濃度勾配になっているのかというのは今まで、なかなか調べる方法がなかったんですね。それが熱分析を使うことによって、その界面というのが一体どれくらいの量があるのか、どのくらいの面積があるかというのが見えるようになってきた」
私たちの日常生活から最先端の分野で、高分子を単体で使っているケースはほとんどない。ブレンドされた高分子のそれぞれの特性が機能的に発揮される高分子材料が求められる今日、界面の解析の重要性はますます高まっている。
「もともとの高分子同士をきれいに混ぜるのではなくて、小さな領域でお互いが分散して共存するようなものを作ると新たな性質が現れます。相分離したときの界面が、あまりくっついていなければ、今度は力学的な性質がものすごく悪くなって、実際に使えなくなっちゃうわけですね。だからある程度、相分離しているけれどもお互いが混ざり合う部分もあるというところで、界面の問題は今の産業界にとって大事なことになるんです」
一見すると自動車のタイヤとは無関係に思われる化粧品。そこでも、皮膚の角層を構成する細胞と細胞間脂質の界面の状態を知ることが鍵となる。どのタイミングで、どういう化粧品が、どうやったら効くのか。吉田氏は研究室の学生たちとともに、物質の界面という考え方を取り入れ、化粧品の成分が角層の中にどのように分散していくのかを研究している。
タイヤでも化粧品でも「ナノメートルサイズでどうなっているのか」という評価の重要性は変わらない。熱測定による評価・解析の精度を総合的に高めるために、原子間力顕微鏡(AFM)による構造解析を組み合わせるのが吉田氏の手法だ。実は吉田氏は、日立ハイテクサイエンス(当時はエスアイアイ・ナノテクノロジー)が開発していた原子間力顕微鏡の国産1号機を見る機会があった。当時から「おもしろいな」と思っていた装置の感度が向上したことで、「今まで熱測定だけでは見えなかったようなものが、AFMを使うことによって見えてきたというのがありますし、AFMだけではわからなかったことが熱測定のデータを使うことによって理解できるようになった」という。皮膚の構造をAFMで見ながら、その皮膚の細胞間脂質の構造変化がどう起こるかを、熱測定で見ることができるようになったのもその一例だ。

吉田 博久

吉田氏が社会に出た高度経済成長期、産業分野の素材としての高分子材料は、金属と比較すると、まだまだバリエーションが少なかった。その後、高分子材料の汎用性は急速に高まり、素材としての将来性は広がった。
「自動車ひとつとってみても、最新型の燃料電池車の中でどれだけ高分子材料が使われているかというと、車体まで含めてかなりの量になります。昔は金属の塊だったものが、今は有機物の塊に変わりつつあるんですね」

吉田 博久

表面・界面から環境問題に挑む

将来的には医療や通信の分野で、高分子の研究を集中的に進めて行こうとする動きが予測される。同時に、吉田氏は環境の問題を重要視している。
「温室効果ガスである二酸化炭素をどう減らすか。最終処分場に持っていくゴミの量をどう減らすか。この二つが環境問題で大事なことだと思うんですよ。そうすると、最終的に使えなくなるものをどう減らしていくか、物質から物質に換えるときにどう効率的に物質変換していくか。エネルギー変換と物質変換というのは、やはり一番重要だと思いますので、そこに高分子材料を使って、いろいろなものに関わっていくということが大切だと思っています」
より積極的な環境問題への取り組みとして、吉田氏は放射性物質に関する研究も精力的に行っている。葛飾北斎やゴッホも絵具として用いた顔料、プルシアンブルー。吉田氏の研究室では、プルシアンブルーのナノサイズの結晶を高分子表面に形成した繊維を開発し、原発事故で放出された放射性セシウムイオンを98%以上除去するフィルターを実用化した。フィルターは放射性セシウムを吸着させる目的だけでなく、環境モニタリングセンサとして、なかなか検出が難しい水中の放射性セシウムの分布を調べるために、福島のさまざまな場所で実証実験を行っている。放射性セシウムの土壌汚染が特に問題となっているアメリカの環境保護庁の研究者も、吉田氏らのフィルターを用いた手法に、熱い関心を寄せている。
「放射性セシウムの吸着フィルターができたときには、これが実際に福島の人の役に立つ、あるいはもっと言うと、たぶんこれから日本中、世界中の人の役に立つんだろうなと思ったら、やはり続けないといけないなと考えています」

評価研究から次世代の素材へ

産業の最先端を担う素材の開発から環境保全活動まで、吉田氏の高分子と表面・界面をめぐるリサーチは、社会のアクチュアルな意識やニーズと密接にリンクして多彩な広がりを見せる。それぞれの研究の具体的なゴールは異なれど、変わらないのは物質を形作るミニマムな単位と構造に迫り、最小のものが積み重なって大きなものになる過程で、いかなる活用の可能性があるのかということへの飽くなき探究心だろう。それは小学校5年生のとき、花火というのは一体どうなっているのかと興味を抱き、自ら火薬をブレンドして花火を作り、母にひどく怒られたという今となっては微笑ましいエピソードにもうかがえる。
小学校でも電子顕微鏡に触れるチャンスがある現状を踏まえて、「科学に関心を持ってもらう子供たちをいかに育てるかというのはすごく重要だと思います」と語る吉田氏は、ユーザーの立場から「最先端の研究に使えるような装置と普通の人が割と手軽に使えるような装置」、高機能化と一般的な汎用性という2つの要望に応える製品のラインナップの充実を、日立ハイテクをはじめとする計測機器メーカーに期待する。また最前線に立つ研究者として、ユーザーの率直な意見や希望をメーカーに明確に伝える必要性を強調する。「DSCの感度を100倍にしてください」という日立ハイテクへの要望は、DSC7000Xの登場で実現した。
「これがすごく重要で、それがきっかけになって私たちは研究が一気に進みましたから、そういうふうにユーザーの方から希望を言っておくと、ちゃんとやってくれるんだなと思いました。やはり言わないとダメですよね」
2016年3月には退官予定の吉田氏だが、企業との研究のオファーは途絶えることはなく、一種のライフワークとも言える放射性物質の研究プロジェクト、そして物質がどう界面を認識するか、素材の厚みや大きさと界面の影響の関係をめぐる日立ハイテクとの共同リサーチと、研究活動の勢いは当面、衰えることはなさそうだ。従来不可能だった評価・解析が可能になることで、新たな素材を創り出す可能性が拓ける。界面の評価から、次世代の産業をおこすきっかけとなる素材へ。吉田氏の前には、肉眼では見えない小さなスケールの世界の、途方もなく大きな可能性が広がっている。

吉田 博久

(取材・文:石橋今日美)

編集後記

個々の分子が持つ性質を見極めて、その特長を引き出し伸ばす。まるで理想的な子育てのようだ。吉田先生は我が子に対するような愛情を持って分子の持つ無限の可能性を見ておられる。ふと昔の1シーンを思い出した。20年も前に日立ハイテクノロジーズ(当時は日立製作所計測器事業部)の方がおっしゃった。「界面研究のユニークな先生がいらっしゃって、先生によると“分子にも好き嫌いがあるんだよ”って」その時お名前を確認しなかったのだが、もしやその先生とは…と想像が膨らむ。
吉田先生が育て上げた子たちは、将来、社会の難問を次々に解決するまでに成長してくれるだろう。20年前に感じた“研究の奥深さ”と“楽しさ”に加え“科学が拓く未来の可能性”を感じる取材となった。

(大塚智恵)