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社員紹介 商社営業
子供の頃培った正義感が、国境を越えていく。

Baek | 

モビリティ営業本部 2003年度入社

正義感と、使命感が、人一倍強かった。

幼少時代は、リーダー格というか、非常にアクティブな子供だったと思います。友達と遊ぶのが大好きで、毎日誰かを家に呼んでは遊んでいましたね。覚えているのは、小学校5年生の頃。誕生日会で5、6人くらい呼ぶつもりが、気がつけば30人くらいになっていたことがあります。さすがに、親も苦笑いをしていました。「年に3日くらいは、友達を連れてこない日をつくってくれないかね。」と冗談半分に言われたことを覚えています。

また、小学校時代は、ボーイスカウトを経験。子供なりに、社会貢献をすることがミッションなんだと強く思った私は、ある横断歩道のない交差点の前で、ボーイスカウトのユニフォームを着て勝手に交通整理を始めました。お年寄りや子供が通る時は、車を止めて歩行者優先で案内する。そんなことを毎日放課後にやり続けていると、1ヵ月くらいした頃に、学校から呼び出されました。そこでは、素晴らしい活動だと表彰をしてもらったとともに、ただこの活動はもうやめようと言われたのです。今思えば、どうやってやめさせようかという大人の事情もわかるのですが、当時は自分で決めたことは、とにかくやり切るという意志が強いタイプだったと思います。

自分で決めた道を、突き進む。

私の親の教育方針は、至ってシンプルでした。人に迷惑をかけず、悪いことをしなければ、勝手にやりなさい。という考え方。それで、私は広い世界を見たいと思いアメリカに留学することを決意します。アメリカでは、周りに日本人が多く必然的に日本の文化に触れる機会もありました。そして、1997年頃。アメリカの大学を卒業し、大学院でさらに勉強をしようと思った時、祖国の韓国が不況に。経済的にも進学が苦しくなり、一度は韓国に戻り就職をせざるをえない状況になりました。そんな時、当時付き合っていた日本人の彼女が(今の奥さんなのですが)、将来やキャリアで悩む私を見て、「日本にきてみたら?」と言ってくれたのです。

若いうちしかできないチャレンジをしよう。そう決めて、1週間後には手続きを完了していましたね。そして日本の大学に入学し、マーケティングの勉強をしました。そして就職を迎えるのですが、当社との出会いは、私に直接送られてきた1通のDMでした。しかし、興味のままに実際に受けに行ったのはいいのですが、個人的には散々な結果でした。文章を読むのに時間がかかる。周りの皆が終わったのに、私だけひとりぼっちでテストを受けているということがプレッシャーでした。しかし、焦っていると当時の人事の野村さんがこう言ってくれました。「白さん、大丈夫だよ、ゆっくりやりなよ。」この言葉に救われましたし、今ここで私が働いているのは、そう言ってくれたおかげだと思い、感謝しています。

日本企業と、韓国企業。それぞれのいいところを学ぶ。

入社後、はじめに担当になった商品は半導体でした。今でこそ半導体は、海外でつくったものを輸入するようになっていますが、当時は半導体といえば日本でつくって輸出するのが当たり前の時代です。韓国企業に対して、日本の半導体を拡販していくことが私のミッションでした。当時、半導体は最先端の技術で、市場も拡大し続けていた時代。今でも覚えているのは、あるお客様の半導体の需要が突然急増したときのことです。このままのペースではお客様の生産ラインを止めてしまう。そこで約2ヵ月間、成田空港にある倉庫に行き、緊急で搬送のサポートをすることに。その期間中は、お客様も夜中に通関業務を行うなどできる限りの対応をしてくださって、なんとか必死の思いで製造に間に合わせました。すると、お客様からはその対応をご評価いただくとともに、当社の他の製品の取引もスムーズに契約成立。当時の部課長から、お疲れさま、とおいしいお寿司をごちそうになったことを覚えています。

そして現在、私が携わっているのは、ある自動車メーカーにエンジン周りに関わるパーツを販売する仕事です。もともと、就職活動をする時には車に関わる仕事がしたいとおぼろげに思っていたこともあり、このプロジェクトに声をかけていただいた時は、非常に嬉しい思いをしたことを覚えています。また、私の出身が韓国ということもあり、取引先は韓国の企業が多いのですが、日本と韓国、それぞれの会社のあり方に関しても非常に学ぶところがあります。韓国企業はどちらかというとアメリカの企業に近い感じでしょうか。判断スピードが極めて速く、チャレンジがダメだったらすぐに改めるというサイクルで経営が進んでいきます。一方、日本はゆっくりと考え、失敗をしない方法を熟考して形にしていくようなイメージです。もちろん、どちらがいいという話ではなく、それぞれの国や働くメンバーにあった会社の形があります。両方を学び、いいと思う方を取り入れていく。そんな学びの多い状況をありがたく思っております。

日本と韓国の、心の架け橋になりたい。

商社といえば社会に貢献でき、かつビジネスとして成立するものなら、何を売ってもいい、というイメージがあるかもしれません。あえてはっきり言いますが、その考え方は、大きくは間違っていません。というよりも、そのくらいの気持ちで事業を立ち上げられるような人が、日立ハイテクにはもっと増えていかなければいけないと思っています。私自身が今考える、やってみたいこととしては、農業分野のビジネスです。TPPがきっかけで、日本には関税の壁がなく安いものがたくさん入ってくるようになるかもしれませんが、これを逆にチャンスと捉えます。日本の農業は、おいしさ・品質はもちろんのこと、安全性においても世界で高い競争力を持っています。だから、海外で売れる可能性があるのではないかと思うのです。もちろん失敗する可能性もあります。けれど、チャレンジしなければ失敗もない、失敗がなければ成長もない。そう考えて、様々な新しい取り組みをしていくことが大切だと思っています。

そして、もう少し先の夢の話をします。私は留学生として来日し、日本人の生活や文化について学んできました。そして、日本がとても大好きになりました。一方、まだ両国の間では政治や歴史的な背景で様々な問題を抱えています。日本も、韓国も、お互いが教科書やメディアで伝え合っていることはほんの一部の表層だけです。そういった人が発信する情報をすべて信じるのではなく、現地へ自分で足を運んで、その目でしっかりと現実を見て、直接話して考えてみてほしい。お互いが持っているいい部分を分かち合うようにすれば、もっとお互いに国際舞台でレベルアップしていけるはずです。非常に難しいことでもありますが、友情に国境はありません。小さい頃から変わらず持っている、自分のミッションとか、社会貢献にはまっすぐと向かっていくエネルギー。もっともっと、社会のために使っていきたいと思います。

※内容は取材当時のものです。