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新卒採用サイト日立ハイテクノロジーズ

社員紹介 エンジニア
負けず嫌いが、今でも私を突き動かす原動力。

宮西

Miyanishi | 

那珂地区生産本部 生産技術部 2006年度入社

遊びを通して、ビジネス感覚を身につける。

子供の頃は、とにかく全力で遊ぶ少年だったと思います。毎日暗くなるまで外で遊んでいました。また、プラモデルに興味を持ったら今度はそればかりに没頭。興味を持ったこと以外には脇目もふらず一直線でした。今でも変わらない性格の一部ですが遊びでも何でも、とにかく負けることが嫌いな子だったと思います。例えば、夢中になっていたミニ四駆では、カスタムをしていかに速いマシンをつくるかを考えているうちに、時間を忘れることもしばしば。ただ、カスタムをするには資金もかかります。どうしても、潤沢に部品を持つお金持ちの子には勝てずに悔しい思いをしましたね。

その頃学んだのは、いかに制約をアイディアで超えていくかということでした。代用できる部品・工具はないか。また資金を貯めるために、お手伝いをしてお小遣いをもらおう。あの部品を買うためにマンガ本を買うのを我慢しよう。といったように計画を立てて、自分なりに懐と向き合って予算配分をしていました。ちょっとカッコイイ言い方をしてしまえば、子供の頃から、ある意味ビジネス感覚を身に付けていたのかもしれません。限られた予算と時間の中でいかに最高の結果を導くか。それは今でも同じことをしていますからね。

モノづくりの基本である現場を、大切にしている会社に入りたかった。

皆さんの夢を壊してしまうかもしれないので恐縮なのですが、幼い頃は勉強よりも遊びや工作のほうがよっぽど好きとは思っていましたが、特に将来の夢はなかったと思います。冷めているというか、現実主義というか…。そんな私が、将来をはっきりと意識することになったターニングポイントは、大学院に入学してからでした。どんな研究が楽しいだろうかと考えていた時に、学校の紹介で知り合った教授の研究テーマに興味を持ったのです。それは、素粒子宇宙物理学。ニュートリノという言葉を聞いたことがありますか?東京大学の小柴昌俊教授がノーベル賞を受賞する研究テーマでもあった、簡単に言うと宇宙の起源を解明するための、世界でも時代の最先端をゆく研究分野です。

かなり高度な研究ということもあり、ついていくのも精一杯でした。研究を行うための特殊な解析機材は世の中にはなく、自分たちでつくり上げる。そんな環境で、かなり鍛えられましたね。実際に自分で装置の設計を行い、旋盤やフライス盤を操作して材料を加工したり、電工作業や制御もやりました。とても大変でしたが、モノづくりの一連の流れを自分で手掛け、直面した課題を克服するためのアイディア出しや試行錯誤したことが、モノづくりを仕事にしようと決断することにつながり、今も活きる大きな経験になっています。そんな中、日立ハイテクに就職を決めたのは、モノづくりの現場力が強い会社だと感じたからです。技能五輪をアピールしているところにも表れていますが、加工・組立というモノづくりの根幹を大切にして、力を注いでいるという姿勢に共感し、ここで働きたいと思うようになりました。

設計とは現場をつなぐ仕事。

入社後に私が携わっている仕事は、ひとことで言えば製品のデザインと製造の間をつなぐ仕事です。設計者のアイディアを、どうやって具現化すればよいか。製品の性能と品質を確保しつつ、低コストで、つくりやすいモノづくりを実現させることが私のミッションです。また、既存製品の生産ラインを今以上に合理化するための施策(例えば歩留まり向上や、手作業工程の自動化施策)を検討・開発する仕事も担当しています。いいものをつくるには、優れた知識と発想だけではダメです。優れた設計と現場のつながりこそが安定した企業の基盤。そんな誇りと責任を胸に、日々仕事の精度を高める努力をしています。

そんな中で一つ記憶に残っている仕事は、生産二拠点化のプロジェクトでした。3.11の震災がきっかけになったのですが、今後大規模災害が発生した時の生産稼働停止リスクに備え、福岡にも同じ生産ラインを持つ工場をつくることがミッションでした。そう聞くと、工場をコピーすればいいだけでしょ?と思われがちですが、全く違います。担当した生産ラインの設備はどれも完全なオーダーメイドの機械。まずはその実機を調査し、必要な機能と部品を洗い出し、ラインを構成する複数の設備すべてを短期間で調達、組立、調整、評価…といった非常にハードな仕事でした。

世界一の製品は、世界一の工場から生まれる。

2ヵ月ほど張り付きで据付作業をするという苦労も実り、福岡の工場がいざ稼働にこぎつけた瞬間、設備トラブル発生のため生産中断との報告。15:00からの対策会議で、同日中に福岡に行かなければいけなくなるほどの緊急事態が起きてしまいました。設備を直さなければ、お客様の納期を守れなくなる。いざ現地に入ると、早期の生産再開を求めるプレッシャーが私一人の背中にのしかかります。結果的には1週間ほど時間がかかってしまいましたが、なんとかリカバーすることができました。後から振り返ると、未然に防ぐことができるミスでした。だからこそ知った、自分の甘さと仕事の厳しさ。まだまだ成長しなければいけない。そう痛感した出来事です。またこの時には、多くの方々にサポートしていただき、チームで仕事をすることの大切さと感謝の気持ちを改めて感じました。

日々、生産設備を触っている中で思うことがあります。中には40年も前に先輩たちがつくった設備もあるのですが、中を開けてみると今見ても最先端なんです。ノウハウがたくさん詰まっていて、全く技術は枯れてなんかいない。すごいなあ、というよりも、悔しいなあという感覚に近いですね。自分ももっといい生産設備をつくりたい。そんな想いを絶やすことなくエキスパートになってやると改めて心に誓うきっかけになりました。負けず嫌いは、いまだに私を突き動かす原動力。世界最先端の製品を支える、世界最先端のモノづくりを行う工場にすることが私の夢です。

※内容は取材当時のものです。