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新卒採用サイト日立ハイテクノロジーズ

社員紹介 エンジニア
いくつになっても楽しみながら、最先端をつくっていきたい。

佐藤

Sato | 

笠戸地区設計・生産本部 装置設計部 2003年度入社

理科の世界にのめり込んでいった、少年時代。

男3人兄弟の次男坊として生まれた私は、わりと放任主義で好きなようにやりたいことをやりなさいと言われて育ちました。小学校の頃は、遊び係。放課後に私が考えた企画でクラスのみんなと遊んだり、学区が狭かったのでいろんな友達の家を転々としながら遊びました。性格はひょうきんでお調子者。それを見て、兄は恥ずかしかったようですが……。

テレビゲームは買ってもらえなかったので家にいることはなく、もっぱら外に出て行って遊んでいました。勉強に関しては理科が好きで、考え方が理屈っぽい私は、実験して結果がその通りにうまく出ること、学ぶほどに世の中の構造が明らかになっていくことにのめり込んでいきました。今思えばそれが自分の源流なのかもしれません。大学は工学部機械専攻。ロボット工学を選び、理系の道を歩み始めました。

設計者の海外業務研修、第一号に。

大学時代に所属した研究室では,ウェハをダイシングする研究に取り組んでいました。(ウェハ:半導体の材料である、薄い円板状素材/ダイシング:ウェハ上に形成された集積回路などを切り出し、チップ化する工程)今の仕事に直結するような研究を間近で見ていたこともあり、就職先として選んだのは、日立ハイテクでした。入社後は開発設計として、製品化を見込んだ新商品の設計業務に取り組んだ後、新たな要素技術の研究へとキャリアを積んでいきました。

そうやって、開発や研究に取り組む私に、突如飛び込んできた海外業務研修の話。ビジネスフィールドはこれからますます海外に広がっていく中で、英語が話せないようではいけないと思っていたところもあったので、すぐに行きたいと希望を出しました。よく話を聞いてみると、どうやら笠戸地区の設計者として海外業務研修に行くのは私が初めてだったようで、これからの礎をつくってくれという言葉にも、モチベーションが上がったのを覚えています。

技術の最前線で学んだ、人間性。

留学先は、カリフォルニア大学。近隣には、スティーブ・ジョブズがあの伝説のスピーチをしたスタンフォード大学やシリコンバレーもある、まさに世界の最先端技術が生まれる刺激的な場所でした。そこで取り組んだのは、プラズマに照射されたフォトレジスト(薄膜にして光・紫外線などを照射すると、当たった部分だけが構造変化し、耐薬品性の硬膜をつくったり、薬品に溶けやすくなったりする材料)の表面反応の研究でした。

日立ハイテクではいくつもある半導体製造工程におけるエッチング(プラズマを利用したウェハの表面加工の技法)装置を担当していたこともあり、その前工程で使われるこのフォトレジストの研究は、実務に対しても非常に学びのある取り組みでした。ただ、実は私がアメリカにいって得たものはそれ以外にもありました。様々な国の人とコミュニケーションを取る中で、一流の技術者は人としても尊敬できる人が多かったこと。そして、モノづくりは、結局は人と人の関わりの中から生まれてくるということです。文化の違いに衝撃をうけることもありましたが、それも含めて、自分の視野が驚くほど広がったことを覚えています。

受け継がれていく、好奇心のDNA。

日本に戻ってから任せてもらったのは、新製品の開発。これが今でも忘れられないくらい大変なプロジェクトでした。これまでのエッチング装置で、直径300mmのウェハ対応だったものを、450mm対応にするというミッション。巨大化するエッチング処理容器のメンテナンスをどうするか。また装置全体の大きさは既存装置と同等とするという難題です。机の上で考えていては何も進まないと思い、設計室の隅に特設スペースを準備してもらってそこに籠り、構想設計ができるまでは自席に戻らないとプレッシャーをかけて取り組んだりもしました。いくら技術が進化していると言っても、数年前に先輩エンジニアが最良の形を考え尽くして生まれてきた製品を超えることは、並大抵ではありません。

構造一つひとつをゼロから組み直し、スペースが有効活用できる機構を考え、試してはやり直し…そんな日々の中でも、自分の支えになったのは、入社した頃に先輩に言われた一言でした。「君らが不可能かどうかを判断するのではない。それは上司が判断するから、どうやったらできるかを考え続けなさい。」そうしてあきらめずにやりきったことで、なんとか形になった450mm対応のエッチング装置。今は製品化の目前まで来ています。思えば、日立ハイテクの技術は、みなこのような不屈の精神とイノベーションに向かう好奇心から生まれていると感じます。このDNAを、私から次は下の世代へと、しっかりと受け継いでいきたいですね。

※内容は取材当時のものです。