ページの本文へ

日立ハイテク
  1. Home
  2. 採用情報
  3. 採用・インターンシップ
  4. 新卒採用サイト :日立ハイテク
  5. プロジェクトストーリー
  6. プロジェクトストーリー EPISODE#02
PROJECT STORY

プロジェクト概要

DNA―あらゆる生物の設計図となる遺伝情報。その仕組みや機能を解き明かす遺伝子解析は、医療・法科学に劇的な発展をもたらすテクノロジーとして、世界中で研究が進んでいる。
遺伝子研究の出発点は、DNAシーケンサと呼ばれる装置での分析だ。しかし、小規模なラボラトリーや医療施設での普及率はまだまだ高くない。この課題を解決すべく、日立ハイテクの新プロジェクトが立ち上がる。そのスターティングメンバーの一人が、当時入社6年目のエンジニア・中澤だった。

[プロジェクト推進者]

アナリティカルソリューション事業統括本部
(現:ヘルスケア事業統括本部)
バイオ分析システム製品本部
バイオシステム設計部

中澤

Nakazawa

2008年入社

[プロジェクトチームの主要メンバー構成]

  • 設計エンジニア(システム、機械、回路、ソフト)
  • 評価・検証エンジニア
  • 営業

再起をかけた新プロジェクト。

「このメンバーでもう一度、新しいプロジェクトをやってみないか」。2014年のある日。営業から持ち込まれた開発要望に、中澤の胸は高鳴った。仲間と共に手がけていたあるプロジェクトが立て続けに凍結を余儀なくされ、悔しい思いをしていた矢先の事だったのである。
要望されたのは「小型で低価格帯のDNAシーケンサ」。それまでの遺伝子解析装置は、数人がかりでないと運べないような中~大型のものが中心だった。しかし、大がかりな装置は価格が高く、場所も取る。また運用コスト、メンテナンス費用も高額になる。こうした背景から、特に小規模な研究機関・医療機関では、DNAシーケンサの普及が進みにくいのである。
世界中の研究施設で塩基配列が解析できるようになれば、様々な病気の研究が進められる。医療機関でフラグメント解析ができれば、診断の助けになる。法科学ラボラトリーで、犯罪捜査の役に立つ。そして日立ハイテクは、DNAシーケンサにおける世界トップクラスメーカー。中澤たちが「小型・低価格」のシーケンサを市場に送り出すことは、途上国を含めた世界の最先端で、最高レベルの医療・法科学研究をサポートすることでもあるのだ。
今度こそ成功させる。前プロジェクトの凍結という苦い思いを分け合った仲間と共に、中澤は新たなミッションへ飛び込む覚悟を決めた。

「性能を保ちながら小型化する」という難題。

4名で始まったプロジェクトは、社内外の関係各所を巻き込みながら、少しずつ規模を大きくしていった。中澤たちエンジニアはもちろん、顧客調整を担う営業、さらには各種部品をつくる協力会社(メーカー)など、ひとつの装置を開発するには数十名という人が動くことになる。多くの人の思いが乗ったプロジェクトなのだ。
中澤たちを悩ませたのは「性能を保ちながら小型化する」ということの難しさである。目ざす大きさは、体積にして従来品の半分ほど。かなり大幅なサイズダウンになることから、構造的に従来品と同じパーツを使えない部分も多い。しかし部品を特注するとなると、部品メーカーにとっては手間やコストの面で負担がかかり、製品価格に影響してしまう。「同じ部品でなんとかできませんか」と難色を示されることは、一度や二度ではなかった。
協力会社との交渉に加え、技術的な困難も山積していた。サイズが変われば内部の構造も変わり、排熱や放電の条件も変わってくる。DNAシーケンサ自体の開発ノウハウは豊富にあっても、これだけの小型化を実現できるノウハウは、部署内に存在していなかった。試行錯誤しては行き詰まり、別の道を探しては失敗し……という状況に、中澤たちは頭を抱えるのだった。

初志貫徹の姿勢が、新たな視野を切り拓いた。

中澤たちを支えていたのは「小型・低価格」というコンセプトへのあくなき熱意だった。ここを妥協してしまえば、世界の最前線に、最高レベルの装置を届けるという目的が果たせなくなってしまう。それはプロジェクトの存在意義がなくなってしまうのと同じことだ。中澤はそんな思いを部品メーカーに根気強く伝え続け、協力をとりつけていった。
さらに、技術的問題を打破するきっかけは、思わぬところにあった。全く違う製品を開発している別部署のエンジニアに話をしてみたところ、過去に同じような問題に遭遇し、クリアした実例があるというのだ。その設計指針を教えてもらい、自分の開発に応用してみると、驚くほどあっさり解決。自分ひとりではなく組織で仕事をする強み、また多様な製品を開発する自社だからこその強みを、中澤はひしひしと感じるのだった。
こうして幾多の壁にぶつかりながらも、プロジェクトは進行した。前プロジェクトで味わった悔しさ、そして「世界の最前線に届ける」という熱意。最終的には、体積と装置価格は従来品の約半分、ランニングコストは約20%低減という大きな成果が得られたところで、中澤はプロジェクトを去ることになる。新しいチームと、新しいプロジェクトを立ち上げるために。

POINT

1

遺伝子解析装置の
開発を通して、世界の医療・
法科学の発展に貢献した。

2

社内外の人の力を結集し、
プロジェクトを成功させた。

3

入社6年目で
重要プロジェクトの
中心メンバーになった。

その他のプロジェクトストーリー

ページ先頭へ