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社員紹介 商社営業
世界を相手に挑戦。あの頃のイメージとは違っても、今はもっと充実している。

魚野

Uono | 

生産システム営業本部 2000年度入社

興味を持ったことには、全部チャレンジする。

小学生の頃はいろんなことに、次々と興味が移っていましたね。何か一つにのめり込むというよりは、面白いと思ったことにはすぐに飛びついて、スポーツやカードゲーム、プラモデルなどに夢中になりました。共通していたことは、大勢の友達が一緒にいたこと。多分、興味の対象は何でもよくて、友達と一緒に遊んだものを「面白い」と感じたんでしょうね。友達の中では私はどちらかというと調整役で、自分が楽しむ一方で周りにも気配りしていました。

小学校ではサッカーチームに入っていました。中学校にはサッカー部がなかったのですが、バスケット部に入り部活に明け暮れる毎日でした。ちょうどその頃はバスケットをテーマにしたマンガが流行ったり、マイケル・ジョーダンがNBAで大活躍していたりと、バスケットが盛り上がっていた時期でしたね。残念ながらサッカーでもバスケットでも補欠でしたが、バスケットは高校まで続けました。練習は厳しかったですが、毎日仲間と夢中になれることがあったことは幸せだったと思います。

海外営業として、世界に羽ばたくはずが……

私の両親は旅行好きで、幼少期には毎年海外旅行に連れて行ってくれました。そのおかげか海外には憧れのようなものがあり、高校生の頃に就職を考え始めた時「世界を股にかける商社マンになりたい」と思うようになりました。「商社に入るなら国際取引の法律の知識が必要だろう」と勝手に思い込み、大学では法学部で国際・取引法を専攻しました。就職活動が始まりいよいよ実際に「商社」と接することになったのですが、実はその時は「商社」が何をしているのかもよく分かっていませんでした。商社について勉強しながら就職活動を進める中で、当社にお世話になることになりました。

さぁ、海外営業だ。そう意気込んで入社をしたものの、何と配属は国内営業。正直、えーっ!?という気持ちでしたが、沈んでいても仕方ありません。国内営業で頑張っていれば、いずれ海外営業をやらせてもらえる。そう思い日々仕事に取り組みました。振り返ってみると、国内営業を経験したことは自分には大きな糧になりました。特に学んだのは「人とのつながり」の大切さです。お客様、仕入先様との個人的な信頼関係が仕事の成果に結びつく。そのためには、誠心誠意お客様や仕入先様に向き合わなければいけない。決して取り繕わない。相手の立場で考える。そんな仕事に対する基本的な姿勢を身に付けることができました。

そろそろ、海外営業やりたいんですが。

国内営業を担当して充実していた毎日でしたが、元々の夢は海外営業を担当すること。その希望は周囲には折に触れて言い続けていたのですが、入社6年目のある日、たまたま会食の場で本部長と話す機会がありました。「そろそろ海外営業やりたいんですが。」その言葉を本部長はあしらうことなく聞いてくれました。そして、それからしばらく経った2006年の年明けに、「今度立ち上げの海外プロジェクトに参加しないか」とお声をかけていただいたのです。若手社員のチャレンジを受入れられる懐の深さは当社の文化なのかもしれません。「やってみたい!」というエネルギーを会社の活力に変える。だからこそ、若手社員にもどんどんチャレンジが求められる。そんな環境なのです。

さぁ、いよいよ念願の海外営業です。はじめに担当したのは、携帯電話の海外営業でした。日本で設計し中国で生産した携帯電話をアメリカのお客様に販売する。その事業の立ち上げ時期からプロジェクトチームに加わることになったのです。製品開発や物流に関することはもちろん、修理用部品の準備からバッテリーに貼るラベルのデザインに至るまで、限られた時間で決めないといけないことが山ほどありました。営業交渉においては、やはり日本にいてもお客様との交渉はなかなか前に進みません。1年間の東京勤務のあと、2007年4月にアメリカに駐在することになりました。アメリカでは前線の営業担当として様々な交渉をしに客先に通う毎日でした。そこで感じたのは、まさに海外営業の醍醐味でした。肩書ではなく、いかに相手に自分とビジネスする価値があると思ってもらえるか。いかに相手にとって有益な人間になれるか。それによって交渉のスピードも成果も全く変わってくる。難しさに頭を悩ませつつも、そのやりがいを体中で感じる毎日でした。

自分がつくったと、自信を持って言えるビジネスを生み出す。

5年半ほど携帯電話の海外営業を担当し、事業も順調に進みました。しかし、競合がひしめく携帯電話業界の中で事業拡大が落ち着き始めた2013年に、社会インフラ関連の海外営業に異動。日本が持つ高度な水処理などのインフラ技術を海外に輸出する事業を担当することになりました。このように、社会の動きに合わせて次々と新たなチャレンジをしていくことは、商社の生命線です。まさにスピードとチャレンジが会社を支える力なのです。いま私が担当しているのはロシア。ロシアではソ連時代に整備されたインフラ施設の老朽化や排水処理などの問題を抱えています。そこに日本の高度な製品・技術を紹介し、ロシアの社会に貢献する。自分の仕事がそこに住む人達に与える影響は決して小さくない。そんなやりがいのある仕事です。

「高層ビルの豪華な会議室で何十億という商談を颯爽とまとめ、日夜海外を飛び回る。」学生時代に、私が抱いていた商社の海外営業のイメージです。実際はかなり違いましたね(笑)。どんな仕事でもそうですが、机の上だけですっと片付くことなどありません。人と人なのです。だから難しい。だから楽しい。実は子供の頃に大勢の友達の中でやっていたこととその本質は同じなのかもしれません。今の目標は、自分がつくったと自信を持って言える事業を立ち上げること。育てる側から生み出す側へ。そうやって、自分の足跡を残していきたいと思っています。

※内容は取材当時のものです。