2001年10月1日、株式会社日立ハイテクノロジーズが誕生した。その前史を振り返る。
バブル経済崩壊後、市場のグローバル化や新興国の台頭などを背景に、日本企業の経営改革が強く求められていた。
株式会社日立製作所は、1999年11月に中期経営計画「i.e.HITACHIプラン」を発表した。日立グループのリソースを戦略的に活用し、お客様にとっての「ベスト・ソリューション・パートナー」となることをめざして、事業構造を質的、構造的に変革していくことを宣言したものである。この戦略に基づいて、日立グループの 再編、見直し、協調による連結経営の強化が進められてきた。この一環としてナノテクノロジー分野の事業を強化・拡充する目的で当社が生まれた。2001年2月、日立製作所の計測器事業、半導体製造装置事業を会社分割により分割し、日製産業株式会社に承継することが発表され、その後、株式 会社日立メディコの検体検査営業グループを加えて、10月1日付で株式会社日立ハイテクノロジーズが誕生した。
この時期、日立グループでは、株式会社日立国際電気(国際電気株式会社、日立電子株式会社、八木アンテナ株式会社の合併)、日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション株式会社、株式会社日立産機システム、株式会社日立ディスプレイズなどが相次いで設立されたが、日立ハイテクノロジーズは、商社機能と製造機能を一体化する日立グループ初の企業統合として大きく注目された。