2000年代初め、液晶ディスプレイとプラズマディスプレイを採用した薄型テレビの普及が本格化する中、株式会社日立製作所、D社およびE社がプラズマディスプレイの雄として市場をリードしていた。
日立製作所から薄型プラズマテレビのバックカバーの調達要請を受けた当社は、奈良県の金型加工業F社と連携し、同部品ビジネスに参入することとなった。2002年以降、地上波デジタル放送開始の機運が高まる中、薄型テレビへの買い替え需要増とともに、市場の需要が急速に拡大し、バックカバーの供給不足が発生。日立製作所の薄型テレビ生産に支障をきたす事態に陥った。
当社は、F社に大型プレス機8台とロボットを導入し、効率的な量産設備の構築を企画した。設備投資は当社が担い、F社に設備を貸与、顧客から償却費を回収するビジネスモデルが確立した。これは、当時の林社長の「付加価値付与型ビジネスモデル」の好事例として投資決断されたものだった。
その後、2004年には日立製作所およびE社をはじめ、日系テレビメーカー各社から原価低減を含む生産拠点のグローバル化への対応要請があり、当社は、F社の米国法人および中国の関連会社との協業を通じ、さらなる追加投資による設備およびロボットの貸与を実施、日系各社の北米および中国のテレビ事業発展を陰で支えたのである。