3.11東日本大震災を乗り越える

2011年3月11日、マグニチュード9.0の大地震が発生し、東日本沿岸部を大津波が襲い、死者・行方不明者は18,000人を超えた。「東日本大震災」である。

当社でも、那珂事業所、茨城・東北支店、茨城のグループ会社が大きな被害に見舞われた。特に、那珂事業所は建物・生産設備が著しく損傷した。何より、従業員全員が無事だったものの、家族の方で3名が亡くなったのは痛恨事であった。

当社最大の生産拠点である那珂事業所のダメージは深刻であり、大きな危機に直面した。

当社は、直ちに大規模地震対策本部(後に全社災害対策復旧本部)を設置し、お客様への対応と、被災事業所の支援、サプライヤーの支援、物流確保、情報インフラ復旧などに全力を注いだ。こうした努力により那珂事業所は4月1日に休業解除、半導体計測・検査装置、科学・医用システム関連製品などの生産は9割程度に回復した。震災や電力供給不安への対応などは当社にとって貴重な経験となった。

当時、那珂事業所では総合棟を建設中であったが、耐震性強化を図り復旧復興のシンボルとして11月に竣工した。また、震災経験を活かしBCP(事業継続プラン)として、2012年7月に福岡県大牟田市に医用・バイオ関係の消耗品の新生産拠点を設置した。

2011年4月、久田 眞佐男代表執行役 執行役社長兼取締役が就任した。「国難とも呼ぶべき震災を乗り越え、創立10周年を迎えられるよう全力を挙げて取り組む。そして、次の10年の成長に向けて、最先端・最前線へのチャレンジ、オープン&グローバルな事業の創造、お客様とのコラボレーションの深化、期待を上回るスピードで先頭を走る、真のCSR企業となる」ことを重点施策に掲げた。

同月、事業統括本部制を導入するとともに、営業、研究開発、モノづくりに関して全社横断的組織をつくり、タテの事業ラインとのマトリックス経営を採用した。また、管理部門のコーポレートスタッフ機能とビジネススタッフ機能の分化、情報システム部門の再編・統合、営業統括本部・グローバル営業戦略部の新設を実施した。モノづくりでも、笠戸事業所、那珂事業所を笠戸地区設計・生産本部、モノづくり統括本部那珂地区生産本部に改編し、FPD・HD装置営業本部とファインテック製品事業本部を統合し、ファインテックシステム事業統括本部を設けた。

海外展開では、4月に大連那珂儀器有限公司を日立儀器(大連)有限公司に商号変更し、同月アプリケーションラボを設立、6月には現地顧客との共同研究、学会・業界動向などから得られたニーズを先取りし、新製品開発に反映することを目的として、初の海外開発拠点となる分析装置の開発センタを設立した。10月には1995年にジャカルタ出張所を開設して以来、市場開発に注力してきたインドネシアに日立ハイテクノロジーズインドネシア会社を設立した。

未曾有の被害を受けた那珂事業所 山棟
耐震対策を施し、技術の融合をめざし建設した
那珂事業所 総合棟
久田 眞佐男
代表執行役
執行役社長
兼取締役