
物質・材料研究機構 マテリアル基盤研究センター
センター長
木本 浩司 博士(理学)
物質材料中の微細構造が巨視的な物性や性能を決定する例は数えきれないほどある。電子顕微鏡は多様な微細構造解析手法1)を提供し、物質材料研究に大いに貢献してきた。例えば構造材料の機械的特性が超高圧電子顕微鏡などによる結晶欠陥のその場観察などにより解明され、半導体素子の微細化は集束イオンビームとマイクロサンプリングによる局所断面観察により評価され、測長用走査電子顕微鏡は重要な半導体検査装置となり、超電導材料等における量子力学的現象は電子線ホログラフィーにより可視化され、たんぱく質等の生体分子はクライオ電子顕微鏡法(2017年ノーベル化学賞)により構造と機能が明らかにされ、リチウム二次電池関連材料の評価のため嫌気性試料の雰囲気制御搬送システムも普及してきた。これまでの電子顕微鏡の開発経緯を見れば、材料開発のニーズが計測手法の進歩を促し、先端的な計測手法が材料研究開発を推進していると言える。上にあげた中でも、超高圧電子顕微鏡・集束イオンビーム・マイクロサンプリング・測長用走査電子顕微鏡・電界放出型電子銃・電子線ホログラフィーなどでは、日立製作所・日立ハイテクの寄与が国際的にも極めて大きい。
電子顕微鏡は物理的に小さなものを見る装置であるが、概念的により大きなものが観察結果から見えてくることがある。予想していなかった超微細構造や原子配列を目の当たりにすることで、物質科学や材料工学などにおいてより本質的なものが見えてくることがある。予想外に見出した物質・構造・現象は、論文として発表する場合には、「それを目指して研究開発に成功」「新しい概念を提案」などとなる。自分に都合良く解釈しているように思えるが、これこそセレンディピティーの本質であり、材料イノベーションの典型的な一例とも言える。
1990年代初頭まで電子顕微鏡画像は写真フィルムに露光し、例えば20枚ごとに暗室で現像していた。その後、画像検出器、電子銃、球面収差補正装置、電子分光器、モノクロメーター、X線検出器、その場観察ホルダー等々で技術開発が進み、装置の自動化が進むとともに、取得データが大容量化・マルチモーダル化した。計測データを構造化して保存活用する試み(例えばRDE2))も進んでいる。研究者は、データ取得条件をプログラムし、得られた大容量のデータから、意味のある情報を抽出する必要がある。実験・解析・解釈のすべての場面において、ソフトウエア・データ科学が求められていると言える。ハードウエアや生データを尊ぶ姿勢は私自身も受けた教育だが、データ科学や数値解析の裏付けが無いことの言い訳としては――自戒を込めた私見であるが――今日通用しない。
研究者にとって電子顕微鏡などの先端計測機器は、研究開発のためのプラットフォームでもある。計測機器メーカーが、装置と共にオープンなソフトウエア開発環境をユーザーに提供することで、世界中の高い志を有する研究者やベンチャー企業が、将来素晴らしい計測解析手法を開発してくれると思う。
私が学生時代所属した研究室では、技官の方が装置開発をしていた。学部では図面を描く講習を受け、私の落第レベルの図面でも超高真空部品を作り上げる工作室組織もあった。サイエンスとエンジニアリングが融合し、先端研究が成立していた。大小さまざまなアイデアをすぐに検証することで、研究開発を加速できる。試料作製や観察だけでなく、装置やその制御あるいは解析ソフトウエアについても、アイデアを早期に実装して検証できる研究組織が、今後生き残っていけると思う。
電子顕微鏡とデータ科学との融合の一例として小職の研究を紹介したい。走査透過電子顕微鏡で入射プローブを走査しながら回折図形を取得する手法(4D-STEM)が近年用いられている3)。我々は多数の回折図形を非負値行列因子分解(次元削減する機械学習の一つ)で解析した4)。実験で得られた回折図形群を再現できる少数の回折図形を次元削減で求めることで、例えば金属ガラス中に析出したナノ結晶を検出し、結晶構造と平均粒径を推定できる5)。その研究開始当初は所内の共同研究者にプログラムコードを書いてもらっていた。企業に外注することと比べれば、コストは低く時間は速い。しかし試してみたいアイデアが増え、またその試みの多くが失敗に帰するうちに頼むのが申し訳なくなり、自分でコードを書きはじめた。アイデアを実装・検証して次の発想につなげるPlan-Do-Checkの研究サイクル速度は大きく改善された。自分でコードを書くことで、既存の機械学習ライブラリ(例えばScikit-learn)に関する理解も深まり、現在は電子顕微鏡学上の拘束条件を追加する研究を進めている。それらのプログラムコードはGitHub等のアーカイブサービスにてオープンにし、他の研究者の糧とされるべきであろう。機械学習の分野では我々のような異分野の者が持つ知識をdomain-knowledgeと呼ぶが、その知識を機械学習に組み込んでゆく研究開発は、今後様々な分野で進んでいくと思われる。
ちなみに非負値行列因子分解は1999年のNature論文6)から研究が加速しており、還暦の私にとっては比較的最近の事に思える。他方、その基本となる線形代数は40年前に学んだはずの大学教養科目であるが現在復習中である。10年ほど前、「関連論文が多すぎて追いかけていられない」とぼやいたところ、尊敬する先生から「一生勉強だよ」と言われ、「天才が一生勉強しているなら自分は死んでも勉強だ」と反省した。また信頼できる同僚からは「最近の研究者は勉強しなさすぎです」と言われたこともある。研究者が勉強をおろそかにしているようでは、研究成果の創出も持続可能ではないだろう。現在私は、先端計測研究者とマテリアルズインフォマティックス研究者が集まったセンターに所属しているが7,8)、計測研究者も分野横断的なリテラシーとしてデータ科学を身に付ける必要性を強く感じている。
2024年のノーベル物理学賞と化学賞は、いずれも人工知能(AI)に関連するものとなった。物質材料研究や計測研究においても、どのようにAIを取り入れるかが鍵である。先端的な計測手法では今後も多次元大容量の計測データが創出されていくことから、機械学習との連携は一過性のブームではなく、より深化が進むと思われる。電子顕微鏡は先端的な科学計測機器として重要な位置を占めているが、正しい結果を得るためには精密な調整が必要で、AIとの融合は今後さらに進むと期待される。エルンスト・ルスカ(1986年ノーベル賞)が1931年に電子顕微鏡を発明して以降、現在もさまざまな技術革新が進んでいる。その先端電子顕微鏡法とデータ科学が融合し、オープンな研究開発環境で異分野が融合することで、予期せぬ発見が新たな材料革新につながっていくことが期待される。
参考文献