(株)日立製作所 研究開発グループ
生産・モノづくりイノベ-ションセンタ長
谷口 伸一 博士(学術)
我々を取り巻く環境では,海面上昇,自然災害の激甚化、など地球規模での環境負荷が同時に進行しており、総合的な解決の方途が必要となっている。人間の活動が地球システムにおよぼす影響を客観的に評価する方法の一つに、地球の限界、惑星限界(プラネタリーバウンダリー)という概念がある1)。この概念では、人間が地球システムの機能に9種類の変化を引き起こしており、限界を超えると不可逆的、壊滅的な変化となるという考え方に基づく。特に「気候変動」、「生物圏の一体性」、「土地利用変化」、「生物地球化学的循環」については、人間が地球に与えている影響とそれに伴うリスクが既に顕在化しており、人間が安全に活動できなくなると分析される。
加えて、資源の局在化やブロック経済による調達の難化へのレジリエンスが、資源の安定的な確保に必須である。資源消費量の増大や、金属の価格高騰からも実感できる2-6)。
こうした課題に対して、サーキュラーエコノミー(CE)が担う役割について述べる。プラネタリーシステムの健全化につながる気候変動の抑制、特に炭素排出削減39%に有効との試算がある7)。加えて、従来の線形経済(リニアエコノミー)から循環経済(サーキュラーエコノミー)への移行は、資源の安定調達の源泉になる8)(図1)。
図1 線形経済(リニアエコノミー)から循環経済(サーキュラーエコノミー)への移行
サーキュラーエコノミーに関連した各地域のルール、エコシステムの形成が進んでいる。欧州では、グリーンディール産業計画のもと、エネルギー・資源の域内調達が進み、日本では、日アジアサプライチェーン共創戦略の構想が打ち出され、アジアとともに進む経済圏構想が掲げられている。北米では、Buy American法の整備が進むとともに、修理する権利、米国内での調達強化、プロダクト長寿命化の議論が進んでいる。こうしたルール、エコシステムにアラインしないと、ビジネスが成立しないリスクがある。
経済活動、研究活動に加えて、最も大事なことはエンドユーザーの価値観である。環境志向の高まりや環境配慮製品の需要が増えるとともに、モノからコトへの変化により、サービスプロバイダーとユーザーとの接点は増える傾向にある。
上記で述べたような状況と課題認識を踏まえて、私たちは、「エネルギーを最小化しながら、資源のライフサイクル価値を最大化する“サーキュラーエコノミー”の実現した社会」をめざしている。この社会では、「モノの来歴がわかり、安心して使える」、「無駄なエネルギーを使用せず、地域に適した再生方法を選べる」「愛着のあるものを長く使える」「再生したモノに新たな価値を感じる」、ことができる。
一方で、このような社会の実現には多数の課題があるが、人の生活に直結する3つの観点から課題を整理した(表1)。まずエネルギーでは、循環に追加エネルギーを必要とすると更なる環境負荷のリスクがある。つぎに、マテリアル、プロダクトレベルにおいては、単純な資源循環では品質が低下することが一般的であり、ユーザーが最終的に満足できない可能性がある。そしてグローバルのルールについては、現状の企業活動では、価格、品質が評価軸の中心でサーキュラーエコノミーの評価軸はほぼない。循環の促進にあたっては、ルール策定、社会実装、エコシステム形成が必須となる。
表1 克服すべき課題:3つの観点から
これらの克服すべき課題に対して、イノベーションに挑戦している(図2)。ライフサイクルマネジメントでは、循環網をサイバー空間上でモデリング、資源・データの流れを計測・制御することで最適な循環を提示する。アップサイクルでは、循環のたびに資源の価値を向上させる技術を提供する。そして、資源とデータが適正に流通するルール戦略の推進である。これらに統合的に取り組み、社会と顧客が必要とする「ソリューションの提供」と「ルールの確立」をめざす。
図2 私たちの挑戦
上記で述べた課題への挑戦に向けて、デジタル活用によるサーキュラーエコノミーに向けた研究開発では、日立の有するナレッジとLumadaを組み合わせ、サイバーフィジカルシステムの構築をめざしている(図3)。ビジョンやルールの発信において、日立は、産業技術総合研究所(産総研)と、循環経済社会の実現をめざす共同研究拠点「日立-産総研サーキュラーエコノミー連携研究ラボ」を産総研臨海副都心センターに設立した9)。循環経済社会のグランドデザイン、それを実現するデジタルソリューションの開発と標準化戦略を立案・施策を提言し、広く社会に発信することを狙っている。共同研究の内容や成果は、オープンフォーラムや提言書などを活用し、社会へ情報発信している。
図3 デジタル活用によるサーキュラーエコノミーに向けた研究開発
まず、ライフサイクルマネジメントに関する取り組みについて述べる。多様なユーザーニーズを満足しながら限りある資源を有効活用していくことが重要であることはすでに述べた。例えば、ユーザーが長く使いたい製品・サービスが提供されることや再生品の利活用を前提とした循環網が整備されていることであり、最終的には環境価値と経済価値の両立が求められる。プロダクトや部品をなるべくそのまま活かそうとするアプローチとして、サーキュラーエコノミーへの基本アプローチのうち本文では、リサイクル(1R)とそれ以外3R(リユース、リペア、リマン〔再製造〕)を区別して述べる(図4)。
図4 ライフサイクルマネジメント
こうした4Rのうち、どの循環ルートが適切であるか判断することは多数の因子が相互に関係するため非常に難しい。そこでライフサイクルにわたる「循環性」「カーボン排出量」「コスト」のデータを計測・見える化・制御することで社会全体でのエネルギーを最小化しながら資源循環を実現するソリューション群を提供する。循環シナリオ生成ソリューションでは、製品ライフサイクルにおけるカーボン排出量、コストを定量化、最適な循環シナリオを顧客に提案する。取り組みにおける本質課題は、カーボンとコストの観点から顧客が最適な製品の循環を選択できることである。
そこで、製品ライフサイクルでのCO2排出量とコストを自動計算し、市場や製品の変化に応じて顧客ごとに循環シナリオを提示することとした(図5)。プロダクト設計で培ったBOM・BOP情報、サプライヤー1次データ、運用・保守実績データ、環境原単位などを基にして、モノ、データ、実績を活用した循環シナリオ生成技術がコアとなる。例えば、お客様のプロダクトのリニューアルにおける価値を検証、仮説シナリオを最適化することで、経済価値を有しながらCO2を削減するリニューアル時期を提示することを可能にする。
図5 循環シナリオ生成ソリューション
続いて、アップサイクルの概略(図6)と事例について述べる。従来のリユース、リペア、リマン(再製造)の高度化をプロダクトアップサイクルで実現する。回収したプロダクト・部品の「高精度計測・診断」と「精密プロセス」の連携でアップグレードして再生を狙っている(4-1)。
続いて、リサイクルの高度化をマテリアルアップサイクルで実現する。User Experience(UX)デザインとインフォマティクスの融合により、再生材の価値を向上させ、適用範囲を拡大する。社内プロダクトへの適用をまずは進めた(4-2)。
図6 アップサイクルの概略
プロダクトレベル・部品レベルでのアップサイクルの実現に向けては、回収部品の診断と再生プロセスの実施が求められる。
高精度計測・診断技術:自動車、航空機、建設機械の油圧機器やエンジン機器等、内部に流路面や摺動面などの狭く複雑な穴形状(以下、狭隘部)を持つ部品は、穴の内面形状が製品稼働時のエネルギー性能に直結するため、その品質管理が重要である。従来技術では狭隘部の形状計測が困難であったことから、狭隘部の3次元(3D)形状を非接触で高精度に計測できる技術を開発した11)。また、製品性能に直結する狭隘部を有する部品の品質管理に加え、サーキュラーエコノミーで必要となる「回収品の診断」も可能とする。光を射出して、プローブを回転走査することで、狭隘部の3次元(3D)形状を計測することが可能である(図7)。
今後、本技術で得られた計測結果を用いて生産工程を改善することで、歩留まり向上による廃棄物の削減をめざす。更には、回収した製品や部品を計測・診断し、次に進める再生工程へと展開することで、製品ライフサイクル全体での環境負荷を低減し、持続可能な社会の実現に貢献していく。
図7 高精度計測・診断技術10b)
マテリアルリサイクルでまず着目したのはプラスチックである。プラスチックの大量消費に起因する温室効果ガス発生、石油資源枯渇、環境汚染等がプラネタリーバウンダリーに関わる重要な課題と認識され、プラスチックの再生(リサイクル)が地球規模で推進されている。プラスチックの再生材は多様な廃材から作られるため、再生材特有の色調変動と材料品質のばらつき抑制が求められる。この課題に対して、高級感を持たせるデザインと材料・製品の品質制御により従来の“隠す”から“魅せる”再生材活用へ変革した。デザイナーとモノづくりのインフォマティクスにより再生プラスチックの利活用を進めている(図8)。弊社製品に対して、製品外観へ再生プラスチックを適用した12)。
リサイクル材を射出する金型内に設置したセンサから、機械学習に適した特徴量の抽出に成功して、特性が変動するリサイクル材に対し成形品の品質を自動で安定化可能なことを実証した13)。デジタル技術を駆使することで、再生プラスチックの射出成形におけるプロセスのインフォマティクス化を推進している。ロットごとに特性が変動しやすい再生材を利用するためには、プラスチックを成形する際に、熟練した作業者が再生材の特性に応じて成形加工のプロセス条件を細かに調整する必要があり、実用化が困難であったが、プラスチック成形プロセスの条件を自動で最適化するAI技術を開発した(図9)。
図8 UXデザイン×インフォマティクス ソリューション
図9 機械学習を活用した最適成形条件の生成
エネルギーミニマムで資源のライフサイクル価値を最大化する“サーキュラーエコノミーイノベーション”への私たちの挑戦について述べた。循環網をサイバー空間上でモデリング、資源・データの流れを把握・制御する「ライフサイクルマネジメント」および循環のたびに資源の価値を向上させる「アップサイクル技術」を開発中である。さらに、2022年10月に開設した「日立-産総研サーキュラーエコノミー連携研究ラボ」とともに、「循環経済社会のグランドデザインの策定」「デジタルソリューションの開発」「標準化戦略の立案・施策の提言」を進めている。経済価値と環境価値を両立するサーキュラーエコノミーの実現に向け更なる挑戦を続けたい。
謝辞
本報告で紹介した技術は、(株)日立製作所研究開発グループ生産・モノづくりイノベーションセンタの研究者の尽力によるものである。ここに厚く感謝申し上げる。
参考文献