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日立ハイテク

分析装置を駆使して水問題に挑む

~ 水の理想的な循環をめざす ~

日本は水資源が豊富な国なので,水不足とは無縁だと思われがちです。しかし,守ろうという意識がなければ,簡単に枯渇したり水質が悪化する危機に直面するといいます。また,地球温暖化に伴い,世界的にも水問題は深刻さを増しています。このような中,分析装置などを駆使しながら,「水の理想的な循環」に取り組んでいるのが,中央大学 理工学部 人間総合理工学科の山村寛教授です。

中央大学 理工学部 人間総合理工学科 教授 山村 寛 博士(工学)

中央大学 理工学部
人間総合理工学科
教授
山村 寛 博士(工学)

3つのビジョンを柱に水の好循環をめざす

2015年に国連総会が掲げた「持続可能な開発目標(SDGs)」は,環境問題・差別・貧困・人権問題といった課題を世界の皆で解決していこうという国際目標だ。全部で17の目標があり,その1つに,「安全な水とトイレを世界中に:すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」がある。今回ご紹介する山村寛教授の研究テーマは「水の理想的な循環」で,これはまさにSDGs に合致するものといえる。
現在,山村寛教授の研究室では,3つのビジョンを柱に研究を進めている。

1つ目は,「健全な水循環」だ。健全な水循環とは,自然からの恵みであり命の源である水を自然から必要以上に取らず,汚れた水は浄化してから自然に返すことだ。
現在,日本の地域社会が直面している課題を山村教授はこう説明する。「川などの流域に住む人々の文化は水と深く結びついています。しかし,少子高齢化に伴い文化の後継者が激減しており,地域の水資源が管理されなくなり,水循環が失われる可能性がでてきています。いかに,水資源と地域の文化を後世に引き継いていくかが課題となっているのです」
日本各地には,地下水や湧き水で有名な町が多く存在する。しかし,近年,使い過ぎなどにより,地下水が枯渇する地域も出てきている。大切に守っていこうという意識がなければ,あっという間に枯渇したり,水質が悪化するという危機に直面してしまうという。また,今後,少子高齢化が加速し,地方の過疎化が進めば,地域内での閉じた水循環が求められるようになるという。「そのため,川や湖の流域の人たちが,水をずっと利用し続けられるように地域をデザインし,水資源を通した文化的で活力のある地域社会の再構築をめざしています」と山村教授は語る。

2つ目は,「水インフラを通して,人々の命と便利な暮らしを守ること」だ。地下水などの水資源に頼ることができない東京などの都市部では,安心・安全な水インフラの管理が求められる。市民が水道水に対して安心感をもつためには,誰でも容易に水道水の品質に関する情報にアクセスできることが重要だ。
「日本の浄水処理場では,薬品を使って不純物を沈殿させて浄水しています。しかし,薬品の量は日によって異なります。現在は日々変わる水の状態を職員が毎日確認し,『今日の水は濁っているので,薬品を多めに入れよう』といった形で対応しています。しかし,人工知能(AI)などによる管理ができれば,後継者不足解消になりますし,発展途上国でもきれいな水を自動的に供給できるようになります。そのため,水道の水質の見える化や水道の管理のスマート化を実現するための研究を進めています」

そして,3つ目は,「固液分離技術の確立」だ。固液分離とは,文字通り固体と液体を分けることだ。排水や汚泥に含まれる有機物などの固体と液体を分離することは,健全な水循環を実現する上で欠かせない。そのため,山村教授は固液を分離する膜の最適な運用方法などを研究している。

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さまざまな分子量をもつ有機物の挙動や特性の解明が重要

具体的な山村教授の研究内容を見ていこう。
川や湖など自然の水にはさまざまな有機物が含まれている。健全な水循環を実現する上では,まずはこれらの有機物の排出源や有機物の種類を特定することが重要だ。
山村教授はこう説明する。「自然の水に含まれる有機物は,動物由来のものと植物由来のものに大別されます。いずれも排出された際の有機物の分子量は巨大ですが,日射や微生物などによって徐々に分解されていきます。分解によって生成される不飽和度の高い有機物は,フミン質と呼ばれています(図1)。フミン質は幅広い分子量をもち,多種多様な成分で構成されています。季節や水域によって構成成分が大きく変化するのも特徴です。不飽和度の高いフミン質は金属と結合して錯体を作りやすいことから,鉄を運搬するなど自然界の物質循環にとって重要な役割を担っています。一方で,水道水を作る浄水過程では,消毒のために加えた塩素とフミン質が化学反応し,発がん性物質であるトリハロメタンを生成することなどが知られています。そのため,自然界および産業界におけるフミン質の挙動や特性を解明することが,極めて重要なのです」

[図1]自然水中の有機物の分解過程

[図1]自然水中の有機物の分解過程
自然の水に含まれる有機物には,動物由来のものと植物由来のものがある。いずれも分子量は巨大だが,日射や微生物などにより徐々に分解されていく。分解によって生成される不飽和度の高い有機物は,フミン質と呼ばれる。フミン質は幅広い分子量をもち,多種多様な成分で構成されている

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[図2]山村教授の研究室では,国内外で採取してきた水に含まれる成分を分析装置を用いて分析している。画像は国内で採取の様子

山村教授の研究室では,国内外のさまざまな地域で採取してきた水を,イオン交換樹脂を使ってフミン質を分離・精製し,分析装置を用いてフミン質に含まれるフルボ酸などの分析を行っている(図2)。
「従来,物質の分析には主に質量分析装置が用いられてきましたが,その多くが特定の物質を高精度で分析するというものです。低分子の有機物を対象とする質量分析装置の場合,当然のことながら,低分子の分析には最適です。しかし,フミン質のような多種多様な成分で構成されている物質の分析には不向きです。私は,フミン質を含む水環境の分析には,幅広い分子量の有機物を網羅的に,高感度で計測できる新たな装置が不可欠だと考えました」

そこで,山村教授が注目したのが,分光蛍光光度計だ。これは,蛍光指紋と呼ばれるものを用いることで,従来は困難とされてきたフミン質のような特徴をもつ物質の分析を迅速かつ簡易に計測できる装置だ。
蛍光指紋とは,さまざまな励起・蛍光波長条件下で,蛍光強度を計測して得られる等高線状のデータを可視化したものだ。見た目が指紋に似ていることからそう呼ばれる。
蛍光を発する物質中の電子は,基底状態と呼ばれる最もエネルギーが低い電子軌道に存在している。そこに光を当てると,電子は光のエネルギーを吸収してよりエネルギー準位の高い軌道に遷移する。これを励起状態という。そして,励起状態の電子が基底状態に戻る際に放出する光エネルギーが蛍光だ。
通常,蛍光の計測は単一の励起光を用いて行われるのに対し,蛍光指紋の計測の場合,励起光の波長条件と観察する蛍光の波長条件の両方を変えながら蛍光の強度を計測していく。それによって得られた蛍光指紋は,励起波長,蛍光波長,蛍光強度からなる3次元の等高線形状をしている。その等高線のパターンはそれぞれの物質に固有のものだ。そのため,食品のように多くの成分が混在している試料であっても,含まれている蛍光物質を網羅的に計測することができるのだ(図3)。自然界には蛍光を発する物質が多く存在する。クロロフィルやトリプトファンなど食品中に含まれる有機物にも蛍光を発するものが多くあることから,従来,分光蛍光光度計は,クロロフィルなどの濃度を計測するために使われていた。山村教授はそれをフミン質を含む水環境の分析に活用できないかと考えたのだ。

[図3]3次元蛍光指紋のスペクトルの例

[図3]3次元蛍光指紋のスペクトルの例
河川水やオゾン処理水などの蛍光指紋を測定した結果。河川水では300 nm から600 nm までの幅広い波長領域にわたり蛍光波長が見られる。これは,幅広い分子量の多種多様な有機物が含まれていることを示している。一方,オゾン処理水などからは有機物がほとんど含まれておらず,有機物の多くが除去されていることがわかる

近年,脚光を浴びる分光蛍光光度計

「実は1990年頃にはすでに,蛍光物質にはそれぞれ固有の蛍光指紋があることが知られていました。しかし,蛍光指紋のデータの微妙な違いはとらえていたものの,それを活用することはできておらず,取得したデータの分析結果を使いこなせない時代が20年間ほど続きました。ところが,近年,PC のスペックが向上したほか,解析技術も進展したことで,多変量解析という解析手法により,蛍光指紋を計測するだけで簡単かつ迅速に,含まれている成分を推定できるようになりました。多変量解析とは多数の変数からなるデータを統計学的に解析する手法です。さらに最近は,人工知能(AI)によるデータ解析が加わり,再び脚光を浴びているのです」
そこで,山村教授が研究室に導入したのが,日立ハイテクの分光蛍光光度計「F-7100」だ。「私が学生時代には,1枚の蛍光指紋を測定するのに1時間もかかっていました。しかし,F-7100を使えば,1枚1分で作成することができます。非常に画期的なことです」と山村教授。
蛍光指紋は,可視光から紫外光まで幅広い波長の光を試料に照射していき,それによって出てくる蛍光を検出して,「照射した波長」,「蛍光波長」,「蛍光強度」の3軸でデータを構成していく。作成された蛍光指紋には,数千個ものデータポイントが含まれている。しかし,高解像度で蛍光指紋を作成するには,より多くの光を試料に当てていく必要があるため,時間がかかるのが難点だった。それに対し,F-7100は,高速でありながら,高解像度でマッピングできるという強みをもつ。
「論文に,『1秒間に1000波長分のデータを取得した』と書いたところ,査読者から『0が1つ多いのではないか』と指摘されました。それだけ,F-7100は一昔前には考えられないほど高速計測が可能だということです」と山村教授。
その結果,これまで非常にむずかしかったフミン質に含まれる成分の種類や排出源の特定ができるようになってきたという。「やはり,見えなかったものが見えるようになるというのが,分析技術の面白いところですね。F-7100は,私の研究に革新をもたらしました」と山村教授は語る。

[図4]分離膜のモニタリングシステム

[図4]分離膜のモニタリングシステム
山村教授が構築した光ファイバーを使って分離膜の状態をモニタリングするシステム。分離膜は使っているうちに目詰まりを起こし,性能が低下する。そこで,システムを使って分離膜の洗浄のタイミングを判断し自動洗浄している

[図5]微細藻類を培養している水槽

[図5]微細藻類を培養している水槽
山村教授の研究室の一角にある微細藻類を培養するための巨大な水槽。この微細藻類はオイルを生成することから,近年,バイオ燃料として注目されている

分離膜にも分光蛍光光度計を適用

山村教授は新たな挑戦を始めている。分光蛍光光度計の分離膜への適用だ。
「私は学生時代から,分離膜に関する課題を抱えていました」と山村教授は切り出す。研究室では,国内外の川や湖から採取してきた水を,分離膜を使って,フミン質を含む固体と水に分けている。しかし,分離膜に堆積した有機物を採取して分析するには,分離膜を解体しなければならない。一度解体した分離膜は二度と使うことができないのだ。「そこで,ある日,日立ハイテクの方に分離膜を解体することなく,分離膜に堆積している有機物を直接,分光蛍光光度計で測定できないかと相談してみました。すると光ファイバーを提案してくれたのです」
日立ハイテクでは元々光ファイバーを,文化財を修復する際の染料の蛍光分析に使っていた。それをF-7100に接続し,光ファイバーを使って分離膜に堆積した有機物を直接計測できれば,分離膜を解体する必要がないというわけだ。「実際,提案通り,光ファイバーを使って測定してみたところ,高精度で測定できることがわかりました。私の長年の悩みがようやく解消されました」と山村教授は声を弾ませる。

さらに,山村教授はこの技術を応用し,光ファイバーを使って分離膜の状態をモニタリングするシステムも構築した。分離膜は使っているうちに目詰まりを起こし,性能が低下する。そのため,定期的に分離膜を薬品で洗浄する必要がある。しかし,洗浄の頻度によって分離膜の寿命や運用コストが大きく変わってくる。そこで,システムを使って洗浄のタイミングを判断し自動洗浄しているのだ(図4)。
このように,山村教授は単に分析装置を購入してくるだけでなく,必要に応じて分析装置の改良や機能追加にも積極的に取り組んでいる。「日立ハイテクの方に相談すると,さまざまな提案をしてくれ,また,一緒に装置の機能追加などに取り組んでくれるので,私の研究においては欠かせないパートナーですね」

進化し続ける分析装置の未来

加えて,山村教授は,「今や分析装置は単に試料を分析するだけの装置ではなくなってきている」と指摘する。前述の分離膜のモニタリングシステムのように,今後,あらゆる分析装置は制御システムと連携させることで,分析結果に基づき,適切な制御が自動で行えるようになるという。「たとえば,浄水場で水道水の品質をモニタリングする際,従来の分析装置は品質を管理するための機器に過ぎませんでした。しかし,今後は,上位にある水の運転管理システムに接続することで,より高度な品質管理が実現できるようになるでしょう。AI の活用にも期待しています」と山村教授。
実際,同様の取り組みは化学工場や食品工場でも進められており,スマートファクトリーと呼ばれている。「今後ますます分析装置を通して,社会にどのように貢献していくか,分析装置で得られたデータをいかにして有効活用していくかが大きなテーマとなっていくことでしょう」

きっかけは中学生時代に経験した2度の渇水

そもそも山村教授が水循環に関する研究を始めたきっかけは何だったのだろうか。「私は,香川県出身です。香川県といえば,うどんですよね。うどんには水が欠かせませんが,実は香川県には湧き水が出る場所がなく,隣の徳島県からずっと買っていました。そのような中,私は中学生の頃に2度の渇水を経験しました。その時,給水車が来るというので,慌ててホームセンターにポリタンクを買いに行ったのですが,売り切れで,しかもすごく値上がりしていたのです。このとき,人間は水なしには生きていけないということを痛感したと同時に,『水ってビジネスになるのではないか?』とひらめいたのです。 この経験が水循環に関する研究の原点なのです」
そして,北海道大学に進学した山村教授は,海水や排水をろ過して真水に変えるろ過膜の研究を始めた。「海水を真水に変えることができれば,香川県の水問題を一気に解決できると思ったのですが,その矢先,ダムができて水問題は解消されました。このとき,ダムに負けたと思いましたね(笑)。でも,膜の研究はとても面白く,現在に至っています」
水循環に関する研究の醍醐味は,関連する研究分野が実に幅広く,予想もしていなかったような分野の研究者と共同研究できる点にあるという。たとえば,近年,バイオ燃料として注目されているオイルを生成する微細藻類に関する共同研究では,微細藻類と培養液を分離するための分離膜の研究を進めている。そのため,研究室の一角には,微細藻類を培養するための巨大な水槽が鎮座している(図5)。

山村教授の今後の目標は,カーボンニュートラルの実現に向けた持続可能な水循環の確立だ。「完全に1軒の家の中だけで,水循環が可能なシステムの提案などをしていきたいと思っています」
また,発展途上国における水問題の解消にも尽力していきたいという。「たとえば,現在,アフリカのタンザニアで,水処理用のろ過膜を3Dプリンタで作製するプロジェクトに参画しています。3Dプリンタを使って現地で製造できれば,日本からわざわざ輸入する必要がなく,それぞれの地域に合ったろ過膜を作製できます。濁った川の水も簡単に飲み水にできるようになると期待しています」
地球温暖化に伴い,世界各地で水に関するさまざまな問題が深刻さを増す中,山村教授の格闘の日々は今後も続く。

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(取材・記事:山田久美,撮影:堀込 崇)

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