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海洋化学に貢献する最新の微量元素分析技術

Advanced analytical technologies for trace elements contributing to marine chemistry

京都大学化学研究所 教授 宗林 由樹 博士(理学)

京都大学化学研究所
教授
宗林 由樹 (理学博士)

はじめに

海洋は、地球を生命の惑星としている重要な条件のひとつです1)。生命はおよそ40億年まえに海洋で誕生し、進化してきました。
現在の海洋では、北大西洋や南極海で塩分が高く冷たい海水が沈み込み、深層水がつくられています。深層水は約2000年をかけてインド洋や太平洋まで循環します。この海洋大循環は、太陽エネルギーの熱を地球全体に配分します。また海洋は大気中二酸化炭素の約60倍の炭酸物質を蓄えています。そのため海洋は、地球の気候の安定にも大きな役割を果たしています。海洋化学は、現在の海洋がどのように働いているか、過去の海洋はどのように進化してきたか、将来の海洋は人類活動によってどのように変化するかを研究する学問です。海水は約3.5%の塩分を含んでいます。その99%以上を占めるのは塩化物イオン、ナトリウムイオン、マグネシウムイオン、硫酸イオン、カルシウムイオン、カリウムイオン、および臭化物イオンです。これらの主成分は海水から除かれにくいため、海洋大循環によってかき混ぜられ、世界中でほぼ一定の比率で存在します。一方、多くの微量元素は、さまざまに異なる分布を示します。そのため微量元素は、現代海洋における物質循環のトレーサーとして、また海洋生物にとっての必須元素として重要な研究対象となります。私たちの研究室では、微量元素を活用して海洋の研究を進めています。その上で、日立ハイテクグループの3つの製品がきわめて重要な活躍をしています。

キレート樹脂NOBIAS CHELATE-PA1

海水中の微量元素を精密に測定するためには、測定に先だって目的元素を濃縮分離しなければなりません。このために1960年代からキレート樹脂を用いる固相抽出法が研究されてきました。しかし、従来のキレート樹脂には以下のような問題がありました。
微量元素の抽出率が低い、主成分の分離効率が低い、樹脂が化学的・物理的に弱い、樹脂に含まれる不純物が微量元素の汚染源となるなど。日立ハイテクが開発したキレート樹脂NOBIAS CHELATE-PA1は、これらの問題を一挙に解決しました。この樹脂は、市販品として初めてエチレンジアミン三酢酸基を導入しました。エチレンジアミン三酢酸基は、分析化学で広く用いられているエチレンジアミン四酢酸(EDTA)と似た構造を持っています。エチレンジアミン三酢酸基は、ひとつの金属イオンと5つの結合をつくることができるため(図1)、微量金属を強力に捕集します。一方、アルカリ金属イオンやアルカリ土類金属イオンとはpH6くらいではほとんど錯生成しません。そのため海水の主成分から微量金属をきわめて効果的に濃縮分離できます。さらに、NOBIAS CHELATE-PA1の親水性ポリヒドロキシメタクリレート樹脂は、化学的・物理的にきわめて頑丈で、不純物がごく少ない材料です。

鉄イオンに5配位したエチレンジアミン三酢酸基の構造
図1 鉄イオンに5配位したエチレンジアミン三酢酸基の構造

私は、日本分析化学会で日立ハイテク研究者の発表を聴き、この樹脂に注目しました。それからこの樹脂を外洋水中の超微量の元素分析に応用する研究を始めました。私たちは、世界で初めて外洋水中のアルミニウム、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、銅、亜鉛、カドミウム、鉛の9元素を一括濃縮分離することに成功しました2)。これら9元素は海洋化学においてとりわけ重要な元素ですが、従来の方法では一度の操作で濃縮分離することはできませんでした。私たちの論文は高く評価されました。世界中の海洋化学者から、どうやったらこの樹脂を入手できるかという問い合わせを受けました。その後、NOBIAS CHELATE-PA1 はしだいに輸出されるようになり、現在では多くの海洋化学者が海水中のさまざまな元素の濃縮分離にこの樹脂を活用しています。私たちの論文はこれまでに73回論文に引用されました。さらに、アメリカの大学の7割が採用しているという分析化学の教科書にも引用されました3)。NOBIAS CHELATE-PA1は海洋化学の微量元素分析において、グローバルスタンダードとなりつつあります。
私たちはNOBIAS CHELATE-PA1を用いて、これまでにベーリング海、北極海、インド洋における海水中アルミニウム、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、銅、亜鉛、カドミウム、鉛の分布を明らかにしました。例えば、インド洋では、図2のような溶存態マンガン/ アルミニウム(Mn/Al)比の鉛直断面分布を明らかにしました4)。Mn/Al比は、マンガンが還元される環境でいちじるしく高くなります。この比は海洋表層での光化学還元、大陸周辺の溶存酸素極小層、および海嶺における熱水活動のよい指標となることがわかりました。

インド洋東経約70度における溶存態マンガン/アルミニウム比の鉛直断面分布
図2 インド洋東経約70度における溶存態マンガン/アルミニウム比の鉛直断面分布

さらに、私たちは海水中の銅安定同位体比の精密測定にNOBIAS CHELATE-PA1を応用しました5)。この方法を用いて、銅同位体比の精密な鉛直分布を明らかにしました6)。銅の濃度と同位体比を同時に観測することで、銅の海洋地球化学循環をより深く理解できるようになりました。

自動固相抽出装置 SPE-100

これまで私たちはNOBIAS CHELATE-PA1カラム、テフロンチューブ、テフロン三方コックなどで組み立てた手動の濃縮分離システムを用いてきました。最近、平沼産業と日立ハイテクフィールディングの協力を得て、自動固相抽出装置SPE-100を改良し、外洋水の濃縮分離に利用できるようにしました(図3)7)。この装置を用いることで、目的元素の汚染をさらに低くし、主成分の除去率をさらに高めることができ、分析精度が向上しました。ひとつの海水試料をセットした後は、濃縮分離が終わるまで装置が自動運転するので、操作者の負担が大きく軽減され、研究の進展速度が格段に向上しました。私たちの論文は、ウェブ上ですでに747回以上のアクセスがあり、やはり世界的に高く注目されています。

クリーンフード内に設置された外洋水中微量元素濃縮分離用のSPE-100
図3 クリーンフード内に設置された外洋水中微量元素濃縮分離用のSPE-100

現在、私たちの研究室では9台のSPE-100が稼働しています。この装置を用いて、太平洋における9元素の三次元分布を明らかにしつつあります。また、ニッケル、銅、亜鉛の同位体比精密測定法の開発にも取り組んでいます。

ICP発光分光分析装置 SPECTROBLUE

実際の海水試料の分析では、pptレベルの測定となるのでICP質量分析装置が欠かせません。しかし、分析法の開発においては、元素に特徴的な波長をもつ発光線を利用して、ppmからppbレベルで正確な測定ができるICP発光分析装置がたいへん役に立ちます。私たちの研究室では2012年にSPECTROBLUEを導入しました(図4)。この装置は、最近の流行であるコンパクトさはありませんが、きわめて実用的で、いかにもドイツらしい製品です。

SPECTROBLUEを用いる測定
図4 SPECTROBLUEを用いる測定

ICP発光分光法で精密な分析を行うには、バックグラウンドを含めて発光線のスペクトルを観測することが大切です。特に、海水のような複雑な試料の場合には、干渉の影響を確認するために、スペクトルの観測が重要です。そのためには半導体検出器を用いる必要があります。現在主流となっているICP発光分光分析装置は、エシェル分光器と大きな半導体検出器を用いて、全波長を二次元平面で観測します。これは全波長のデータを一度に取得できる点で優れていますが、大きく高価な半導体検出器は0°Cよりも低温かつアルゴン気流下に保つ必要があります。測定をすぐに行うためには、常時通電し、アルゴンを流し続けねばなりません。
アルゴンガスは高価なので、このような装置はいつも研究費に苦労している私の研究室には向きません。SPECTROBLUEは、パッシェンルンゲ光学系を採用し、複数の小さなCCD検出器をローランド円上に並べています。この光学系は完全に気密で、アルゴンガスでパージされています。常時アルゴンを流す必要はありません。またCCD検出器は15°Cに保てばよいので、温調も比較的容易です。
このため、1回の測定が数十分から数時間まで、その測定が週に数回から10回くらい、測定元素は試料によってさまざまというような使い方をする私たちの研究室においては、SPECTROBLUEは性能とコストパフォーマンスの点で理想的な装置です。

おわりに

私が大学の研究室に入って海洋化学の研究を始めたのは33年前です。当時と比べると、科学技術の進歩のおかげで、研究室の研究能力は飛躍的に向上しました。この恩恵を大切にして、海洋と地球環境の理解に少しでも貢献できるように努めたいと思います。

参考文献

1)
C. H. Langmuir,W. Broecker,生命の惑星―ビッグバンから人類までの地球の進化, 京都大学出版会 (2014).
2)
Y. Sohrin et al.,"Multielemental determination of GEOTRACES key trace metals in seawater by ICPMS after preconcentration using an ethylenediaminetriacetic acid chelating resin",Anal.Chem., 80, 6267-6273 (2008).
3)
D. C. Harris,C. A. Lucy,Quantitative Chemical Analysis,9th ed.,W. H. Freeman and Company (2016).
4)
H. T. D. Vu,Y. Sohrin,Diverse stoichiometry of dissolved trace metals in the Indian Ocean,Sci. Rep.,3,1 745,doi: 10.1038/srep01745 (2013).
5)
S. Takano et al.,"Determination of isotopic composition of dissolved copper in seawater by multi-collector inductively coupled plasma mass spectrometry after pre-concentration using an ethylenediaminetriacetic acid chelating resin",Anal. Chim. Acta. 784,33-41 (2013).
6)
S. Takano et al.,"Isotopic constraints on biogeochemical cycling of copper in the ocean",Nat. Commun., 5,doi: 10.1038/ncomms6663 (2014).
7)
T. Minami et al.,"An off-line automated preconcentration system with ethylenediaminetriacetate chelating resin for the determination of trace metals in seawater by high-resolution inductively coupled plasma mass spectrometry",Anal. Chim. Acta.,854, 183-190 (2015).

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