ページの本文へ

日立ハイテク
  • ホーム
  • 報文
  • 感染対策最前線の現場から―衛生研究所での電顕活用―

地方独立行政法人 大阪健康安全基盤研究所 微生物部ウイルス課 主幹研究員 内閣府食品安全委員会 微生物・ウイルス専門調査会 専門委員 左近 直美 博士(医学)

地方独立行政法人 大阪健康安全基盤研究所 微生物部ウイルス課
主幹研究員
内閣府食品安全委員会 微生物・ウイルス専門調査会 専門委員
左近 直美 博士(医学)

はじめに

地方衛生研究所(地衛研)は都道府県又は指定都市に設置され、地域の科学的かつ技術的中核として地域保健行政を支える公的機関として位置づけされている。調査研究、試験検査、研修指導、公衆衛生情報の収集・解析の4分野を柱として業務を行っている。COVID-19の発生当初にPCR検査(遺伝子検査法)を担当していた機関は国立感染症研究所と全 国の地衛研であった。
今後発生すると想起される新興・再興感染症に対しても初動はまず地衛研である。危機管理の重要性から、令和4年(2022年)12月に地域保健法が改正され、地衛研の設置が法定化された。大阪府においては衛生行政の機能強化にむけて大阪府と大阪市の研究所を2023年1月に一元化し、全国で唯一の独立行政法人として公衆衛生業務に取り組んでいる。一元化にあたり、透過型電子顕微鏡(TEM)HT7800が設置された。

ウイルス検査と電子顕微鏡

私が大学で研究室生活を送っていた頃、SRSV(small round structured virus)と呼ばれている一群の小型球形ウイルス(ノロウイルスを含む)が食中毒の原因物質として法的に認められそうだ、との話を聞いた。これが、私がノロウイルスに関わった最初である。SRSVの多くは培養ができないために、患者の便検体を試料として電子顕微鏡(以下、電顕)でウイルス粒子を直接観察する方法が検査法として採用されていた。非細菌性食中毒の原因究明のための疫学研究班でまとめられた報告書によると、およそ半分の地衛研が電顕法を活用し、非細菌性食中毒の7割ほどの事例(908事例中602事例)について実施されていた1)。電子顕微鏡が検査法として重要であったことがよくわかる。
電顕法は視野にウイルスが存在していれば、非常に迅速に結果を得ることができる。その一方で、小型な粒子や粒子数が少ない場合は検出が困難な場合がある。そこで、通常は3分程度であるウイルス浮遊液のグリッドへの吸着時間を検討したことがある。結果はチャンバー内で8時間をピークとし、それ以上は減少した(図1)。実施検討数が少ないが、粒子数が少ない場合は効果が期待できるかもしれない。

図1 グリッド吸着時間の検討

図1 グリッド吸着時間の検討
通常の吸着反応(3分)にて粒子が観察されたノロウイルス陽性サンプルを用いた

電顕法の危機管理への応用

電顕を用いた検査が簡便な遺伝子検査法に代わっていき、多くのステップが必要な電顕試料の調整や電子顕微鏡の操作法の取得、ウイルス粒子の形態を判別する技術を担当する研究員が少なくなり、技術を継承し維持することが難しくなることが予想された。そのような折、ドイツのロベルト・コッホ研究所(コッホ研)が実施する電顕を用いた外部精度管理(External Quality Assurance Diagnostic Electron Microscopy of Infectious Diseases: EQA-EM)について、現・大阪医科薬科大学の後藤俊幸先生(電顕専門、故人)から大石功ら(当所の前身・公衛研ウイルス課)にEQA-EM参加への推薦を受けた。この研究チームのリーダーはコッホ研のH.Gelderblom博士で(図2参照)、1年に3度ばかり送付される不活化ウイルスの電顕観察の結果を先方に返送して照合するという手順であった。この方式は現在も年1回継続されている。
幸いにもGelderblom先生が2004年来阪され、2月18日に当所にて講演をいただく機会に浴した。その折に危機管理としての電顕の有用性について様々なご教示をいただいた。講演の中で、現在、話題となっているエムポックス(サル痘)に関する発表があり、生物テロとして天然痘ウイルスが使われた場合を想定した危険なサンプルの採取法にも触れられた2)。あらかじめ不活化剤を入れたシリンジで患者患部の水泡液を採取し、直ちに電顕観察するといった安全で即効性のある検査法を示されたことに衝撃を受けた。EQA-EMでは水疱を形成する原因ウイルスとして類症鑑別の重要性から、orthopoxvirus、orfvirus(Parapoxvirus)、herpesvirusの観察経験を積むことができていた3)。さらにmimivirusといった新たに発見されたウイルスが含まれ、ウイルス図鑑では未見のウイルスの実像を観察できた。また2003年の香港におけるSARS発生の際は迅速にSARS-CoVの観察試料が提供された。ウイルス観察には観察経験とともに、懸念されるアウトブレイクやその原因ウイルスの情報収集を怠らないことが重要である。

図2 Gelderblom先生来阪の際の記念写真

図2 Gelderblom先生来阪の際の記念写真

次世代の研究者たちとの連携

当所が府市と一元化されたのを機にHT7800(日立)が導入され、およそ2年ぶりに電顕操作を再開させることができた。新規の電顕本体の操作性は従来の機種に比べて格段にあがっている。そればかりか、電顕の周辺機器も極めて簡易に使えるのに驚いた。これまで操作性の理由で敷居が高かった電顕だが、現有の機器であれば経験が少ない研究者に使ってもらうチャンスが到来したと思っている。
そこでまず手始めに、若手研究員を対象に様々な機材の準備から電顕の操作に至るまでの一連の研修を始めた。内容はウイルス不活化剤、PTA(リンタングステン酸)染色液の作製および支持膜およびカーボンコーティングしたグリッドの作製を行った。図3にはFormvar膜を支持膜として作製した例をお示しした。グリッドは市販品を購入することもできるが、ウイルスの電子顕微鏡観察はウイルス浮遊液、染色液をグリッドに載せるため、購入品よりも自家調整グリッドの方が観察中安定しているように感じている。次に、ウイルスの培養・不活化・濃縮そして観察の各ステップを実際に実行してもらった。この時に行った一連の電顕作業およびウイルスの粒子像は、ライブラリーに保存して今後活用していく予定である。

図3 Formvar膜作製研修に用いた研修資料より抜粋

図3 Formvar膜作製研修に用いた研修資料より抜粋
クラシカルな道具は現役

小学生を対象にした当所のイベント「夏休み子ども科学体験イベント」が2024年8月5日に開催された。今回はミクロの世界を体験してもらいたいとの願いから、日立ハイテクの協力を得て実施した。光学顕微鏡、走査型電子顕微鏡(SEM)、電子顕微鏡クイズの3つのカテゴリーを体験してもらった(図4)。卵の殻、塩やハーブなど身近なものから蟻、蝶の鱗粉などを試料とし、参加者に試料の選択と作製をしてもらい、SEMのオペレーションも体験してもらった。参加した子どもたちは試料の作製やクイズに楽しそうに取り組んでいた。

図4 夏休み子ども科学体験イベント「ミクロの世界を見てみよう」

図4 夏休み子ども科学体験イベント「ミクロの世界を見てみよう」

これからの電顕と地衛研

新型コロナウイルス感染症は日常の生活様式を一変させたが、ウイルスが実際に環境中にどのように存在しているのか、その動態を考えさせるきっかけともなった。コロナウイルスは主に呼吸器疾患を引き起こすが、腸管でも増殖可能である(牛のコロナウイルスは下痢症の原因)。このことから新型コロナウイルスの原因であるSARS-CoV-2が下水から検出されることは予想された。すでに多くの論文において新規感染者数の集計数と下水中のウイルス濃度との関係性が示され、下水サーベイランスを加速させることとなった。その際、驚いたのは、ウイルスを研究していると(特にウイルス粒子観察において)いかに夾雑物をなくしウイルスを濃縮・精製するかということを念頭に作業していたが、取り除いていた夾雑物中にウイルスが、遺伝子検出においてではあるが多く存在していることがわかった。現在、当所にて実施している下水サーベイランスでは下水を遠心した沈渣を用いてウイルスの遺伝子検出を行っている。
下水にはこれまでのウイルス濃縮法とは異なる手法を用いているが、ロタウイルスやノロウイルスの陽性便におけるウイルス観察にも新たな発見が報告された3)。それは感染者の便からexosomeを回収すると、その中に数個のウイルスが存在している(vesicle)というもので、このような構造物が環境抵抗性や感染効率に関連していると推察されている。当所においてもexosome回収法を用い、ノロウイルス陽性便中のvesicle観察が再現できた(図5)。ウイルスの動態を明らかにする上で電顕法は必要と考えられる。
沈渣を用いたウイルスの検出やVesicleの観察のように、これまで想定していなかった方法への試みは検査においても重要である。

図5 Vesicleの観察

図5 Vesicleの観察
膜状の中にウイルス粒子が数個観察される

おわりに

当所では新規の電顕の導入を機にTEMおよびSEMの活用をさらに進めている。各地の地衛研ではそろそろ電顕の更新の時期にきているが、検査法として遺伝子検査が主流となった今日、電顕を更新しようとする地衛研は減少しているようである。各地衛研が独自で電顕を保有するのではなく、地域ブロックにおける活用が求められていると思われる。中核となる地研が率先して電顕技術の維持向上に努め、EQA-EM用の陽性サンプルを提供して地研相互で観察するネットワークの構築が重要ではないだろうか。現在はオンラインで同時観察をすることも可能となっており、新しいシステムを活用して、連携を強化したい。危機管理上の衛生行政をより的確でかつ迅速に取り組めるように、また研究としての活用に向けても、所内外に向けた研修や連携を通じて、地域におけるより広範な人材の育成に協力できればと思っている。

謝辞

これまでの電顕観察のご指導ならびに執筆にあたり多くのご助言を賜りました、元大阪府立公衆衛生研究所 大石功病理課長、西村公志主任研究員、元国立感染症研究所 宇田川悦子先生に感謝いたします。

参考文献

1)
食品媒介ウイルス性胃腸炎集団発生実態調査研究班 報告書「最近5年間の食品媒介ウイルス性胃腸炎集団発生全国実態調査 総合報告書」1995年12月8日発行.
2)
Gelderblom HR, Möller L, Laue M. External quality assurance (EQA) in diagnostic electron microscopy (DEM) of infectious diseases: aim and roots, results and perspectives. http://dx.doi.org/10.25646/5388
3)
Gelderblom HR, Madeley D. Rapid viral diagnosis of Orthopoxviruses by electron microscopy: optional or must? Viruses. 2018. 10(4):142. doi: 10.3390/v10040142
4)
Santiana M, Ghosh S, Ho BA, Rajasekaran V, Du WL, Mutsafi Y, De Jésus-Diaz DA, Sosnovtsev SV, Levenson EA, Parra GI, Takvorian PM, Cali A, Bleck C, Vlasova AN, Saif LJ, Patton JT, Lopalco P, Corcelli A, Green KY, Altan-Bonnet N. Vesicle-Cloaked Virus Clusters Are Optimal Units for Inter-organismal Viral Transmission. Cell Host Microbe. 2018 Aug 8;24(2):208-220.e8. doi: 10.1016/j.chom.2018.07.006. PMID: 30092198; PMCID: PMC6226266.

関連製品カテゴリ

関連する記事

登録記事数 203
まだまだあります。

ページ先頭へ