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日立ハイテク

2019 年末の症例報告から、わずか数か月で世界中に広がった新型コロナウイルス感染症。
国立感染症研究所治療薬・ワクチン開発研究センターの渡士幸一治療薬開発総括研究官は、その対策に欠かせないウイルスの生態解明と治療薬の開発に取り組んでいます。
新型コロナウイルスの特性と治療薬開発の現状、そして感染症研究において電子顕微鏡が担う役割について伺いました。

国立感染症研究所
治療薬・ワクチン開発研究センター
治療薬開発総括研究官
渡士 幸一

国立感染症研究所 治療薬・ワクチン開発研究センター 治療薬開発総括研究官 渡士 幸一

ウイルスの挙動を理解し、制御につなげる

大きさ100 ナノメートル(0.1 マイクロメートル)前後の微粒子で光学顕微鏡では見えないことから、かつては正体が謎に包まれていたウイルス。電子顕微鏡の登場によって姿がとらえられるようになると、その研究は大きく発展した。生態の解明が進み、病原性ウイルスに対しては診断法やワクチン、治療薬が開発され、感染や重症化を防ぐことが可能になったものも多い。国立感染症研究所の渡士幸一氏は、そうした対策の基礎となるウイルス学を専門としている。

「生物の生命活動は基本的に連続した化学反応で成り立っています。そこへウイルスという異物が侵入すると、ウイルスはこの生体の化学反応を利用して増殖、伝播し、一方で生体は異物を排除するプログラムを発動させます。ウイルスはそれを逃れるように進化したり、環境に適合して共存しようとしたり、時には生体に不利益な化学反応(つまり病気)を引き起こし、これを滅ぼしてしまうこともあります。私たちはそれらのメカニズムを解明して、生体とウイルスとのかかわりや、ウイルスの挙動を理解すること、またこれを制御することに取り組んでいます」。

地球上には膨大な数のウイルスが存在し、そのうちヒトに感染するウイルスはごくわずか、宿主であるヒトに病気を引き起こすものはさらにごく一部であるが、渡士氏はその中でも肝炎を引き起こすB型・C型・D型の肝炎ウイルスを長らく研究対象としてきた。同じ肝炎ウイルスで名前も似ているが、例えばB型はゲノムがDNAで、C型はRNAであることや、D型はB型と共存して増殖する特性を持つなど、それぞれの性質には大きな違いがある。さらに最近、研究対象に加わった新型コロナウイルスは、感染する細胞も肝炎ウイルスとは異なる。「宿主特異性と言って、例えば肝炎ウイルスならヒトの肝臓の細胞を選んで感染、増殖するというように、ウイルスによって標的細胞や病原性を引き起こす機構も違いがあります。

ウイルスが侵入するかどうかは宿主側の細胞遺伝子の発現や周囲の環境要因などで決まりますが、ウイルスの感染メカニズムを解明することは、ウイルスの伝播や疾患発症を理解し予測するために重要です。また、侵入した細胞内のどこで、どれぐらいの速さでどれぐらいの数のウイルスが増殖するかといったウイルス動態を明らかにすることで、増殖の制御が可能になります。感染・増殖の制御方 法を見出すことができれば、治療薬の開発につながります」。渡士氏はウイルス研究の意味についてそう説明する。

国立感染症研究所 治療薬・ワクチン開発研究センター 治療薬開発総括研究官 渡士 幸一

治療薬の開発では手応えも

培ってきたウイルス学の知見を活かし、渡士氏は現在、新型コロナウイルス感染症の治療薬探索にも携わっている。探索には、既存の承認薬の中から新型コロナウイルスの増殖を抑える活性を持つものを探し出すことと、ゼロから新薬を開発するという2つのアプローチがある。

前者のアプローチは、早期に臨床で活用できる可能性が高い。日本で病気の治療薬として承認されている薬は3,000品目以上にのぼるが、渡士氏の研究グループは培養細胞を用いたスクリーニングで、抗ウイルス効果を持つ薬を見出した。「スクリーニングでは、培養した細胞を新型コロナウイルスに感染させ、候補薬を投与し、ウイルス量の変化を測定して効果を判定します。抗ウイルス効果を持てばそれでいいというわけではなく、承認薬は人体に投与したときの体内濃度が既にわかっていますから、その濃度で抗ウイルス効果があるかどうかを調べます。効果発揮にあまりにも高い濃度を要する薬は実用的には意味がありません。さらにそれぞれの薬がどのようにウイルスの感染・増殖を抑えるのかという作用メカニズム(機序)も調べ、最終的にいくつかの候補薬にたどり着きました」。

そのうち2品目はすでに臨床試験が始まっている(2021年8月取材時)。1つはHIVの治療薬として古くから用いられてきたネルフィナビル。培養細胞系で新型コロナウイルスの複製を抑える効果が確認され、国内での臨床試験に入っている。もう1つは抗マラリア薬のメフロキンで、ウイルスの細胞への侵入を阻害する効果が培養細胞系で確認され、海外での臨床試験が進行中だ。さらに、別の薬も臨床試験が計画されている。「臨床試験で効果が確認されて治療薬の選択肢が増えれば、病気の治療だけでなく、現在大きな問題になっている医療施設や社会への負荷軽減にも貢献できます」と渡士氏は期待を語る。

新薬開発については、大学や研究機関、製薬企業などと30件を越える共同研究を進めてきた。研究者や企業が開発した化合物に抗新型コロナウイルス効果があるかどうかを渡士氏のグループが培養細胞系で検証し、その結果を基にさらに化合物を改良し効果の強いものを探していく、その繰り返し作業である。「新薬の創出はどうしても時間がかかってしまいますが、新型コロナウイルスに最適化された薬を開発し、有効性と安全性の高い治療法を確立することが、この感染症を制御し社会を正常化するために必須です。有力な候補物質も見つかっているので、研究にもさらに力を入れています」。

新型コロナウイルスの大きな特徴

抗ウイルス薬の治療効果はウイルス特性に大きく左右されるが、新型コロナウイルスのウイルスとしての特徴は「伝播が非常に早いこと」だという。新型コロナウイルスの近縁種であるSARS※1コロナウイルスは、2002~2003年にかけて世界32の地域と国に拡大したが、最終的な感染者の数は1万人に満たずに収束した。それから20年近く経ってグローバル化が大きく進んだという事情はあるものの、新型コロナウイルスは最初の症例から2年も経たずに感染者が世界で2億人を超えていることからも、感染性と伝播性の高さがうかがえる。新型コロナウイルスは、症状がない感染者からでも伝播するため感染拡大を止められないと考えられるが、ウイルス自体の性質も異なるようである。

「その背景にあるのが、生体内での伝播の速さです。発症後に感染者体内でウイルスが最大量に達するまでの時間を比べると、MERS※2コロナウイルスが12日程度、SARSコロナウイルスが7日、それに対して新型コロナウイルスはたった2日程度です。この増殖の速さが伝播力の高さにつながり、さらに言えば治療薬の効き目にも大きく影響します」。抗ウイルス薬は一般的に、ウイルスが体内で最大量に達するまでの間に投与することで高い効果が期待できる。新型コロナウイルスではその時間的猶予が少ないため、治療薬を投与するタイミングが難しく、遅れると充分な効果が発揮できない可能性もあると渡士氏は指摘する。抗ウイルス活性を持つ治療薬を開発すればそれでよいというわけではなく、投与方法や治療機会も含めて考える必要があるのが、この感染症の厄介な点である。

「遺伝子としてはSARSコロナウイルスと新型コロナウイルスはかなり似ているのですが、伝播速度は大きく異なります。それが何に起因するのかまだわからないため、解明を急いでいるところです。また、急速に拡大しているデルタ型などの変異株についても特性を把握し、対策に活かせるよう研究をスピードアップしています」。

※1
SARS: severe acute respiratory syndrome, 重症急性呼吸器症候群
※2
MERS: Middle East Respiratory Syndrome, 中東呼吸器症候群

ウイルスや疾患原因の解明には直接観察が不可欠

ウイルスの特性を解明する研究において、重要な役割を果たしているのが透過電子顕微鏡だ。まずウイルスの形を知り、存在を証明するためには、電子顕微鏡で姿をとらえることが欠かせない。「ある疾患を引き起こすウイルスを特定しようとしたとき、近年はゲノム解析的アプローチが最初に選択されます。ゲノム解析は早くて便利な方法なのですが、犯罪捜査にたとえると、犯人の指紋や職業、年齢、行動履歴といったプロファイリングデータを集めていることに近いと言えます。一方、電子顕微鏡で形態を見るというのは犯人の顔や姿、佇まいを直接見て、犯罪がおこなわれている現場をおさえることにあたります。

ウイルスの特徴を知り、疾患原因を証明するために直接観察が必要となりますが、それだけではなく、見ることで犯人の動機や犯行のメカニズムまで、さまざまな発想も生まれてきます」。
透過電子顕微鏡でウイルスの姿をとらえるには、検体の中からウイルスを分離、精製するといった前処理に手間がかかる。しかし、遺伝子と形態、両方の情報が揃って初めて科学的に疾患原因とメカニズムが特定できるのであり、研究者はその手間を惜しんではならない。このことを説いてきたのが、ノロウイルス研究で名が知られる宇田川悦子博士だ。宇田川氏はかつて国立感染症研究所ウイルス第二部の主任研究官を務め、渡士氏の先輩にあたる。

「ゲノム解析によってウイルスの存在を『推定』し、電子顕微鏡画像で実際におこっていることを『証明』する。観察によってゲノム情報の意味が与えられ、ゲノム情報によって観察されていることの根拠が示される。電子顕微鏡観察の重要性を語られてきた宇田川先生のお考えには共感していますし、新型コロナウイルスの形態観察でもさまざまなアドバイスをいただいています」。

感染細胞の構造変化からウイルス動態を知る

姿をとらえることに加え、ウイルスの動態を調べる上でも電子顕微鏡は欠かせない。「ウイルス学の研究内容の1つとして、ウイルスが細胞内のどの部分で増殖するかを調べることをあげましたが、その場所を特定するには直接観察が確実、かつ有効です」と渡士氏。

ウイルスは宿主細胞の中に侵入して増殖するが、その際に細胞の中身を自分たちが増殖するのに都合のよい状態につくり替えてしまうものが多い。例えば肝炎ウイルスやコロナウイルスは、細胞で常におこなわれている化学反応を変化させ、結果的に通常の細胞には存在しない、蛸壺のような「膜構造体」を細胞につくらせ、その中で大量にウイルスのゲノムを複製する。細胞の内部を満たす細胞質にはタンパク質分解酵素や核酸分解酵素が大量に含まれるため、その中で普通に複製しようとすれば、つくったそばからどんどん分解されてしまう。膜構造体の形成は、分解されることを防ぐためのウイルスの巧妙な戦略と言えるだろう。この膜構造体はウイルス遺伝子が存在する場所を示し、またそもそも通常の細胞にはないため細胞がウイルス感染している目印ともなる。

「この膜構造体のあるところにウイルス遺伝子が存在します。膜構造体をつくれない状態にするとうまくウイルス複製できないこともわかりましたので、新しい抗ウイルス薬を開発することにもつながります。まだまだわかっていないことも多く、今後この膜構造体の形成や維持を解き明かすことが重要です。そして今のところ、この膜構造体を見るには電子顕微鏡観察しかありません。電子顕微鏡観察を前提とした分子生物学手法により、これまでに知られていないウイルス増殖の仕組みを知り、これを制御する手法を開発しています」。

東京ソリューションラボ

学んだことを次の世代にも

渡士氏がウイルス研究を始めたのは大学院から。「どの研究室に入るか迷っていたとき、下遠野邦忠先生にお目にかかり、その飾らないお人柄に惹かれたのです。研究の中身というよりは、先生に学びたいという思いからこの道に入りました」。下遠野博士は1975年にノーベル生理学・医学賞を受賞した遺伝学者のハワード・テミン博士(Howard Martin Temin, 米国)のもとでウイルス学を学び、京都大学ウイルス研究所長を長く務めたウイルス学の権威である。

「下遠野先生は特に実験と、実験で得られるデータ、そしてそのデータの匂いや手ざわりと向き合うことで新たな発想を得ることを大切にされました。先生からは、ものの見方、考え方、研究の潮流を作っていく姿勢などあらゆる面で、研究者としてのあるべき姿を学びました。そのすべてが今に至るまで自分の研究者としての基盤となっています」と恩師の薫陶への感謝を語る渡士氏。新型コロナウイルスの研究でも師の教えを忘れず、データと向き合うことを大切にしている。

「今、取り組んでいる新型コロナウイルスの解析においても、電子顕微鏡による形態観察が不可欠なため、日立ハイテクの東京ソリューションラボにもご協力いただいています。観察から得られるデータに向き合い、起こっている現象を捉える、それを説明するために解析するというスタンスを大切にしたいと思っています。そのためには電子顕微鏡による形態観察の専門家がとても重要になります」。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックは世界の日常を一変させた恐ろしいできごととなった。治療薬の開発では、ウイルスに立ち向かうにはウイルス学だけではなく、さまざまな分野の知見や技術の融合が不可欠であることを実感したという渡士氏。「やはり日頃から、研究領域を超えて連携する体制や研究者同士の信頼関係を構築しておくことが必要です」と指摘する。

今回のパンデミックが収束しても、新興感染症の脅威は続くと予想されている。「起きてからでは遅いので、そうした連携システムを平時から確立しておくこと、またウイルス研究でも、複数種のウイルスに応用できるような基盤的な研究を持続することも重要だと感じました」。そのためにも人材育成、特に病原体を正しく扱える人材を育てていくことが欠かせない。技術や知見は短期間では身につかないことから、国立感染症研究所では大学の学部生や大学院生なども受け入れて共同研究を行い、感染症研究の今後を担っていく人材を育成する活動にも力を入れているという。

 「自分たちの研究姿勢や、電子顕微鏡を含めた専門機器を活用するための技術などもしっかり伝えていき、感染症研究を支えていく研究者を育てていくことが、自分の最も重要な使命と捉えています。彼ら彼女らは今後の研究領域の希望そのものであり、その長い活動のその先に、研究領域を超えた新たな展開やわれわれがイメージできないアプローチでの研究が生まれることを願っています」。新興感染症が身近な脅威となった現代社会において、渡士氏の仕事はますます重みを増している。

(インタビュー・文:関 亜希子)

ウイルス感染対策のカギを握る形態・生態の観察

”インタビューに寄せて“

国立感染症研究所客員研究員
宇田川悦子

私は、国立感染症研究所に在職中よりウイルスの構造に興味を持っており、電顕を用いたノロウイルス、アストロウイルスなど各種ウイルスの構造解析をライフワークの一つとしています。渡士先生と初めてお目に掛かったのが、同研究所戸山庁舎で、新型コロナウイルスの培養を行なっていると伺いしました。もとより、ウイルス構造に興味があったので、初対面にもかかわらず、厚かましくも新型コロナウイルスの電顕観察をご提案したところ、濃縮精製した不活化済みウイルスのご提供と電顕観察をご快諾いただきました。
現在、新興・再興感染症等が流行した際は簡便なゲノム解析が主流ですが、検出された遺伝子と感染の直接的な因果関係を証明することは容易ではありません。また検出された遺伝子が実際にどの様な病原体であるのかを明確にするのは困難な場合が多いのですが、電顕でウイルスを直接観察することで解明されることはたくさんあります。ただ、ウイルスの電顕観察には超遠心法など高度な精製技術が必要ですが、今回の新型コロナウイルスは大量培養が可能ですから電顕観察には好都合です。渡士先生との電顕探索はこれからも挑戦させていただきたいと思っています。
渡士先生も本文中で述べられておられますが、今後未知のウイルス感染症が発生した時、ゲノム解析的アプローチが主流ですが、ウイルス粒子そのものを検出できる電顕は欠くことの出来ないpowerful toolであることに変わりはありません。勿論、装置の簡素化、観察方法の簡便化などの課題はまだ多数残っていると思いますが。
今回、治療薬開発の最前線でご活躍の渡士先生とご一緒に、新型コロナウイルス研究の末端に携わること、そして、若い世代への橋渡しのお仕事の一端を担わせて頂いたことは、私にとって望外の喜びであり、感謝の念に堪えません。今後更なるご発展を心よりご期待申し上げますと共に、一日も早いコロナ禍の終息を願っております。

ウイルス感染対策のカギを握る形態・生態の観察

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