今回登場いただく宮村 一夫 東京理科大学名誉教授は、分析化学・錯体化学を専門に金属錯体分子の会合構造の解析と、錯体−脂質複合層状結晶の育成を研究課題とし、最近では、冷結晶化による蓄熱能を有する化合物を発見するなど、多くの実績を上げてこられた研究者です。趣味の鉄道にも造詣が深く、JR全線、私鉄全線の完全乗車(いわゆる完乗)を達成した「乗り鉄教授」として2014年4月から2025年3月までNHK「ラジオ深夜便」の「旅の達人 全国鉄道紀行」に出演されました。研究者として教育者として、趣味との両立をはかりつつ、日本化学会では化学遺産委員会の委員長としてもご尽力されている宮村先生に、今回は日立ハイテクアナリシスから設計開発部門の3人(坂元 秀之、山本 和子、伊藤 正人)を交え、座談会方式で話をお聞きしました。
東京理科大学
名誉教授
宮村 一夫 工学博士
専門は分析化学・錯体化学。工学博士。元・東京理科大学理学部第一部学部長兼大学院理学研究科長、東京理科大学評議員。日本分析化学会副会長、日本化学会理事を歴任。現・日本化学会化学遺産委員長。著書に『ゼロから学ぶ元素の世界』講談社(2006 年10 月)『「乗り鉄」教授のとことん鉄道旅』(2021年8月)など。
伊藤 先生は化学遺産の選定に関わっておられますが、最初から委員長を務めていらっしゃったのですか。
宮村 いえ、私は二代目です。東京での実働部隊が欲しいということで私に声がかかりました。私は「一度は何でも経験してみよう」という主義なので、お引き受けした次第です。
坂元 2024年には弊社の装置も日本最古のアミノ酸分析計として化学遺産に認定されました。現存する装置を文化遺産、産業遺産として次世代に伝えることはとても大切ですね。
宮村 そう、放っておくと貴重な装置がどんどん失われてしまう。ところが海外ではちゃんと保存されています。以前に訪問したグラスゴー大学では、19世紀の物理学の巨人で、22歳でグラスゴー大学の教授になったケルヴィン卿の執務室も当時のまま残されています。そんな歴史と対峙していく必要があるのです。
伊藤 確かに、日本の技術をもっと誇っていいはずですね。
宮村 日本はアジアの中でも科学技術のフロントランナーでした。ですから、優れた装置や成果を「遺産」としてきちんと残し、特にアジアに向けて発信していくことが我々の使命だと思っています。装置は場所をとることから廃棄されがちなので、ぜひ推薦もお待ちしています。
坂元 先生は、「理学には発見の醍醐味がある」とおっしゃっていましたが、例えばどんなご経験がありますか。
宮村 学部時代に配属された研究室は「金属錯体」がテーマでしたが、実質的には有機合成の研究が主で、金属をテンプレートに有機分子を集めて反応させ、新しい配位子を作るという研究をしていました。最初のテーマは、小さなパーツから大きな環状分子を作るという合成反応だったのですが、これが不斉点、つまり右手と左手のように鏡像関係にある構造を持つ化合物の合成につながる面白いテーマでした。1段階の反応でヘテロ環を3つもつ化合物を80%以上の収率で得るのに成功しましたので、卒業研究としては大成功でしたね。
また、金属錯体を作る際に、金属と配位子を結合させる順番を単純に入れ替えると、できる錯体の構造が変わるという現象も見つけました。同じ配位子なのに立体構造が違う錯体を作り分けることができるので、面白い反応でした。
伊藤 その構造は目に見える形でわかるのですか。
宮村 最終的にはX線で構造を確定します。ただ、スペクトルの時点でも別の化合物ができていることは明らかでした。X線構造解析は、当時はパンチカードを使って、1週間かけてようやく1つの構造が見えるという時代でしたね。
山本 パンチカードですか。私もうっすら記憶があります。
宮村 僕らの世代が最後じゃないでしょうか。分子構造の解明というのは非常に重要で、特に金属錯体のような化合物では、構造が機能を決めるわけです。ニッケル錯体だったのですが、FMR(機能性金属リガンド)によってある程度の予測はできても、構造を決めるにはやはりX線が決定打になります。
座談会参加者 (左から)アプリケーション開発センタ 坂元 秀之、分析システム第二設計部 山本 和子、伊藤 正人
宮村 実は大学に入る前から化学を専門にすることは決めていたのですが、どの学科にするかは悩んでいました。ご存じないかもしれませんが、当時、工学部の工業化学はものすごく不人気だったのですよ。工学部工業化学・合成化学科の学科説明会では、学科主任であった吉川貞雄教授が説明に来られて、その週の土曜日に本郷の研究室を案内するというので、訪ねたところ、出席者は私一人だったんです。そのため、教授室で直接お話をお聞きしました。すると、そこへ佐分利正彦助教授も現れて、佐分利先生の駒場でのゼミを受講していたご縁もあって、結局、工学部工業化学・合成化学科に進学を決めました。
坂元 そこから分子会合の研究へと展開していかれたのですね。
宮村 はい。先輩から「複雑な化合物はコストが高すぎて、薬以外には使えない」と言われたことがありました。では逆に、単一の化合物ではなく、複数の分子の相互作用——分子会合——によって新しい性質を生み出すことができるのではないかと。つまり、「合成する」よりも「組み合わせる」ことで物性を変えるという考え方です。
坂元 それが界面活性や会合体の研究につながった。
宮村 そうです。博士課程中退で助手になって最初に取り組んだのは、アルキル基を持った金属錯体の合成。炭素数が10を超えると界面活性が顕著に現れるので、C8、C10、C12あたりを狙って合成しました。金属錯体は色があるので見た目には濃く見えても、有機物としては濃度が低すぎて最初はうまく測定ができなかったのですが、濃度を上げてNMRを測定したところ、スペクトルが劇的に変化していて、分子会合が起こっていると確信しました。
伊藤 先生は工学部のご出身ですが、それは明らかに理学のテーマですね。
宮村 そうなのですが、この方向に進めたのも縁や偶然が重なった結果です。私の場合、転機には話が降ってくるのですよね。そういう出会いが大きな流れを決めることがよくあります。
坂元 助手になられた経緯も変わっていますよね。
宮村 ええ。実は博士課程の1年のとき、食べ放題だと聞いて工学部の化学系のOB会にたまたま参加したところ、分析化学の先生が「君を助手に採用したい先生がいる」と声をかけてくださって。当時から鉄道の旅が趣味で、その時間が少なくなることに迷いましたが、最終的には助手を務めることになりました。
坂元 助手として所属した合志陽一先生の研究室はX線分析が専門でありながら、「X線はテーマにするな」と言われたとお聞きしました。
宮村 多分それが東大流の育て方なのですよ。合志研究室では先生から、何を研究してもよいが、X線だけはしないようにと厳命されました。要するに、そのまま先生の言いなりになってやるのではダメですよ、君は君のオリジナルな研究を立ち上げて、私を上回るようになりなさいということなのです。
坂元 最新の研究ではどのような発見がありましたか。
宮村 面白かったのが「冷結晶化」という現象です。温度を下げても結晶化せず、逆に上げた時に突然結晶化するのです。これは凝固点では結晶核が形成されないためで、結晶核ができる温度では、結晶成長が起こらなくなるためです。一方、昇温過程ではある温度を超えると結晶成長が始まり、一気に結晶成長が起こることを突き止めました。
山本 結晶化温度はどれくらいですか。
宮村 100℃未満ですね。だから熱を蓄えて放出する“蓄熱材料”になります。ただ、熱を電気に変換できればもっと面白い。それを目指して後輩たちがエネルギー変換の研究などに取り組んでいるはずです。
山本 応用の可能性は広そうですね。
宮村 実際、自動車部品メーカーから熱回収への応用について問い合わせがありました。とはいえ、こうした結晶化の制御は非常に繊細で、純度や合成法にノウハウが必要なのです。うちの研究室の強みはその技術にありますね。
高知市電のアンパンマン列車
廃止になった東根室駅:
今年(2025年)3月15日のダイヤ改正で駅が廃止されましたが、それまでは日本最東端の駅でした
赤村トロッコ:
ボランティアで運営されている九州の赤村トロッコ。季節営業です。
伊藤 先生は鉄道ファンとしても有名で、JR・私鉄の全線完全乗車を達成されたそうですね。
宮村 はい、趣味として始まったのは学生時代です。長期の休みを利用してあちこち出かけました。学会に参加する際も、機会を生かして地域の鉄道に乗っていました。学会は開催地が全国を巡るので、そのときに寄り道することで日本中の路線を制覇することができました。
伊藤 市電も全部乗られたとか。
宮村 市電は一日乗車券があるのでコストはそこまでかからない。でも問題は時間。特に枝線の終点は短時間しか滞在できず、逆戻りすることになります。だいたい同好の士がいて、終点で「あ、この人もたぶんそうだろう」というのが雰囲気でわかります。中高生もけっこういます。
山本 全線制覇って、乗り鉄の間ではよくあることなのですか。
宮村 案外たくさんいます。だからNHKラジオ深夜便から出演依頼が来た時は「なんで私が?」と思ったくらいです。
伊藤 退職されて、これからは鉄道の旅三昧かと思いきや、まだお忙しそうですね。
宮村 本当はスパッと大学から離れるつもりだったのです。でも講義の依頼が増えて、今では現役時代より授業数が多いくらいです。鉄道の方も、朝日カルチャーセンターで講演したり、雑誌連載が始まりましたし、最近では内閣府のウェブマガジンにも寄稿しました。
坂元 先生の研究への向き合い方は、学生さんにも受け継がれているのでしょうか。
宮村 私の研究室では、何かを強制することは一切しませんでした。結局、研究は自分が本気で「やりたい」と思わなければ続かないものですから。研究ではテーマを提案できるようになることが重要と考え、大学院生には卒研生(4年生)が研究するテーマを一緒に考えて提案させるようにしていました。
坂元 なるほど、自立、自主性がポイントですね。
宮村 私は、研究室の在室時間も縛らず、自分で時間管理できるように促していました。例えば結晶化の研究は、あまり触らないほうがいいので、むしろ旅にでも出て、そっとしておいた方が結果が出ます。遊んだ分は後で取り戻せばいい。そういう「成果主義」でしたね。
山本 先生ご自身も、そうした方法で研究と趣味を両立されていたのですね。
宮村 学生時代から鉄道旅をしていましたが、学会の要旨提出にはきちんと間に合わせて、先生を驚かせたものです。大事なのは、自分のやり方を持って、責任をもってやり抜くこと。それが東大流とも言えるのかもしれません。「X線はダメ。でも他は何をしてもいい」とだけ言われて、あとは自分で考える。これが、私にとっての出発点でした。
坂元 これからの研究の方向性については、どうお考えですか。
宮村 今はもう、新しい化合物を1つ作って勝負、という時代ではないと思います。これからは複数の分子をどう組み合わせて新たな機能を創出するかがカギになる。組み合わせの仕方も、比率も無限にある。だから、無限の荒野に分け入るような探索的な研究が求められているのです。
山本 まさに理学の領域ですね。
宮村 例えば冷結晶化においても、アデニンとチミンという核酸塩基に、それぞれアルキル基を導入して、単独では冷結晶化しないが、両者を組み合わせることで冷結晶化させることに成功しました。これは偶然ではなく、「この条件なら何か起こるはずだ」という仮説と観察力のもとに行ったものです。
伊藤 そういう戦略的な思考は、学生にも伝えられるものなのでしょうか。
宮村 自分なりのストラテジーを持って、仮説を立て、実験で確かめる。愚直という言葉が大好きですね。その積み重ねの中でセンスも養われます。だからこそ、自分の研究を「見つける」ことが大事なのです。自分自身の問いが、何よりの原動力になりますから。
坂元 なるほど、先生が育てた次世代の研究者に期待したいと思います。本日はありがとうございました。
編集後記
2023年の夏の暑い日、宮村先生が日立ハイテク 那珂地区(日立製作所 旧那珂工場)にいらっしゃった。化学遺産の審査のためである。1962年発売のKLA-2形アミノ酸分析計について私が説明した。折角の機会なので、そのビルに展示されている835形高速アミノ酸分析計も見て頂いた。化学遺産委員会では宮村委員長に多大なるお力添えを頂き、1977年発売の835形のほうが認定された。実物が残っていることが決定的だったようである。同時に、KLA-2形はアジア初のアミノ酸分析計に位置付けて頂いた。
翌年の日本化学会で化学遺産の認定証を受領した。そのとき、SI NEWS のインタビュー企画を御説明したところ即座に引き受けて頂き、かなり懐の深い先生だなと感じた。そのあと、市民公開講座で私が化学遺産を説明する機会があり、本インタビューの件を確認したときも、とっても物腰の柔らかい先生だなとの印象を受けた。
インタビューでも御紹介した通り、先生は鉄道マニアであり、『「乗り鉄」教授のとことん鉄道旅』という本も書かれた。NHK の「ラジオ深夜便」の放送内容がたくさん載っている。先生はゆっくりとお話しになるので、深夜放送には最適である。NHK は本当によい先生にお願いしたものだと思う。
会う人は皆、宮村先生に一目会えば、とても温厚そうで高身長な紳士だと思うに違いない。実際も見た目の通り、お優しい。本インタビューの記事と写真でそれをどこまで お伝えできただろうか。皆さまも実際、お話ししてみれば分かることだが、そのお人柄に引き寄せられて先生のファンになってしまうかもしれない。科学者でありながら科学者に留まらない、文字通り先生の視点の高さを感じられることと思う。先生には今後とも学生への御専門の講義は勿論、広く一般の方々にも鉄道の醍醐味を伝授し続けて頂きたい。
(伊藤 正人)
(取材・記事:山口 としなり 取材日:2025年4月9日)
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